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7-1-5 女性論

2023-09-03 08:45:21 | 世界史
 『文芸復興の時代 世界の歴史7』社会思想社、1974年
1 「カンタベリー物語」の世界
5 女性論

 一方、『カンタベリー物語』における色欲のとりあつかい、それにともなう女性への不信、結婚生活への皮肉は有名である。
 この点では、ダンテの『神曲』に対して『人曲』といわれ、人間の赤裸々な描写でイタリア・ルネサンス文学を代表するボッカチオの『デカメロン』(『十日物語』、十四世紀中ごろの作)と、『カンタベリー物語』はよく似ている。(ただし、この両者の関係の有無については議論が多い)
 女の忠言は多くの男の身をあやまらせるとか、女性は秘密をかくしえないから、自分の妻にもそれをうちあけるべきではないとか、女は魔性でその性は悪であるとか、いろいろ示されているが、とくに妻の不貞にあざむかれている夫へあびせる笑いは、『カンタベリー物語』にもよくみうけられる。
 あの宿屋の主人も自分の女房は苦手とみえる。
  「ご存じなかろうが、じつのところあの女と縁組みしたのはまことにもって残念至極、
  女房の欠点をいちいち数えたてたらおれは大馬鹿ということになろう。
  なぜって、この席のだれかさんによって女房めにしゃべられてしまうからさ……」
 そして妻が忠言をもって夫をいさめたというある話を聞いて、宿屋の主人はいうのだ。
 「ああ、いい話だ、酒の一樽(ひとたる)よりもこの話をうちの女房に聞かせてやったほうが、
 おれの身にはありがたいんだが……」

 それはともかく、『カンタベリー物語』の女性といえば、バースのおかみさんについて語らなくてはなるまい。
 織物を得意とする点で当時の新しい産業をあらわし、頭巾(ずきん)から靴にいたるまで上等な品々を着こなし、ローマやエルサレムまで巡礼し、色白で、あだっぼいこの女は、その社会的地位において、その物の考えかたにおいて、宿屋の主人と時代をともにするものといえいう。
 そしてなによりも現実的なのは、彼女の結婚観であろう。
 若いころの情夫は別としても、十二のときから結婚し、正式に五人も夫をとりかえた彼女は、まあ、よくもそんなになんども結婚したものだと、自分でもあきれながら、それについて、むかしの聖人さまの言葉を的確に引用しつつ、よどみなく弁明してゆく。
 彼女は堂々と自分の結婚に対する主義と抱負をのべ、五人の夫にかこつけて、男性の弱点、短所を暴露し攻撃してやまない。
 けっきょく、女房こそ一家の長であり、夫がこれにしたがうのがあたりまえで、それによってのみ結婚生活は幸福になりうるというのが、彼女の信念にほかならない。
 そして彼女が語る話――かつて若い騎士が一年と一日のあいだに、「女がもっとも望むものはなにか」という難題の答えをさがさねばならなかったとき、ついに「女は夫をも、恋人をも、思うままにすることを望んでいる」という解答に達するところの彼女の話は、いかにもその持論にふさわしい。
 このバースのおかみさんは、ある人びとがいうようにフェミニズムの代弁者であろうか。
 それともほかの人びとがみるように、女性と結婚とに対する諷刺の集大成であろうか。
 だがそうした解釈をうち忘れるほど、彼女のとうとうたるおしゃべりの交響楽は読者を唖然(あぜん)とさせるのだ。
 おそらくシェークスピアやラブレーのような作家が創造したわずかな大物のみが、彼女に匹敵しうるであろう。
 彼女はまさしくルネサンス的な人間であったのだ。
 そういえば、バースのおかみさんだけのことではあるまい。
 宿屋の主人をはじめとして、良心の苦しみもなく、荒仕事でかせぎまくる船長、おもしろおかしく暮らすのがその主義で、四季に応じて美食のかぎりをつくすというエピキュリアンをもって自認する地主、外国産の衣裳に身をかため、営利商売の才にかけてはならぶ者がなく、つねにどうしたらもうかるかと考えている貿易商、自分たちで専属の料理人をつれ、りっぱな服装で、財産も収入もあふれんばかりの五人の市民たち、そして前述した修道僧、托鉢僧、免罪符売り等々、いずれもふるくさい道徳性や宗教性をこえて、むせ返るような人間臭を発散する――。
 ルネサンスが「人間の発見」であるならば、『カンタベリー物語』もこれに無関係ではないはずである。
 そうであれば、我々が卑猥(ひわい)と感ずるたぐいの物語も、思えば地上の歓楽を、禁欲的な中世から奪いかえしたルネサンス人の高笑いかもしれない。
 むろん、『カンタベリー物語』をイギリス・ルネサンス文学そのもののなかにいれるわけにはゆくまい。
 またチョーサーは聖職関係者をこっぴどく諷刺はしているが、けっして宗教改革を望んだわけではなく、敬虔なカトリック精神や騎士道を尊重しており、前者の代表は巡礼たちのなかの司祭に、後者は騎士にあらわれている。
 そしてチョーサーは女性と結婚については、けっきょくは貞節と愛をおもんじているが、もしチョーサーに哲学があるとすれば、いわばこうした中世的なものであろう。
 しかしそうした世界観にもかかわらず、「ルネサンス」という言葉が、フランス語で「よみがえり」を意味するとすれば、そしてこの「よみがえり」が、中世文化のなかで神中心のために忘れられ、ゆがめられた人間観を再生させ、新しい文化や精神を創造するということであれば、チョーサーはこのルネサンスのひとりの先駆者といえるのではあるまいか。
 イギリスのルネサンスそのものはチョーサーから一世紀以上ものち、十六世紀に、とくにその世紀後半のエリザベス女王の時代におとずれる。
 そして文学のうえだけに限るならば、チョーサーに見いだされる「人間の発見」が、その真の意味で高められ、深められるのは、あのシェークスピア(一五六四~一六一六)においてであろう。
 彼は新しい人間の価値をたたえた。
 「なんという傑作であろう、人間とは。理性はじつに気高く、能力はじつに限りがない。」
 そして『ハムレット』『ベニスの商人』『ロミオとジュリエット』『オセロ』『マクベス』『リヤ王』『真夏の夜の夢』『ウィンザーの陽気な女房たち』『じゃじゃ馬ならし』……といったおなじみの悲劇と喜劇、それに歴代のイギリス王をあつかった歴史劇は、あらゆる階級の人間をいきいきと、人間らしくあらわしている。
 思わずドキンとするような芝居の筋の強いもり上げかたは、現代の劇作家さえ手本とするところだ。
 「楽しい(メリー)イングランド」という言葉がある。その光がさしかけたところをチョーサーが歩み、その光を一身にあびてシェークスピアが登場する。
 シェークスピアについては作品の邦訳や評論の類も多い。
 ここではあまり知られていないチョーサーの紹介にとどめておいた。





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