幼少の頃豊羽鉱山元山から石山の選鉱場に移って来ましたが?
今考えると如何も経過がはっきりしません・・
終戦の年は昭和20年で私は4歳です当然終戦は元山にいました。
しかし調べて見ますと昭和19年に元山採掘場は大雨の為坑道内が水没し休山となりました。
それで父は石山に移動し長屋住まいとなった様子です?
当時豊羽鉱山勤務していたと思っていましたが、父は解雇されましたが住むところがありませんので、取あえず社宅の長屋が空いていましたので、そこが居住する場所となった様です。
努めていればこんなに貧乏する事はありませんがその後子供が4人出来て貧乏暮らしに拍車がかかりました。
当時子供が5~6人家族は普通でした。
父は石山の隣真駒内の米軍基地に勤め僅かな賃金を貰っていた様子です。
子沢山ですが無口な父は子供達を愛してくれました。ある日米軍基地から野球のグローブを貰って来た事がありますそれも革製の新品で左様でした。
当時グローブは各自厚手のキャンバス布地で作っていました。
ボールも糸で固く巻いたものでバットは角材を削って造りました。
友達の中でも新品グローブは非常に珍しい物で自慢しました。
冬にはレース用スキーを又貰ってきて金具を夜造り、そのスキーを明日乗れることに興奮して眠れなかった記憶があります。