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「フィアット:モデルの歴史 1899から今日まで」を読んで

2014-04-03 | エッセイ

 最近、ネットでミラノの夕刊紙、Corriere della Sera を読んでいたら、こんなコラムに出くわした。 
 
 Fiat: la storia dei modelli dal 1899 a oggi



 懐かしくなって、全てのモデルたちの姿を眺めてみた。もちろん、僕が知っているモデルは1969年以降のモデルたちだけれど、懐かしさがいっぱいで楽しめた。

 どこかで書いているけど、僕が自分の車を最初に買ったのは日本でではなく、イタリアのミラノだった。ミラノは駐在員として、2年ほど住んでいた街だ。

 会社は、それまではミラノ市内の東の端っこにあったのだけれど、業務を拡張するので、ミラノ郊外の地に新しいサイトを作った。

 当初は、市内のアスプロモンテ広場から、プルマン(イタリアでは長距離バスをこう呼ぶ)が20kmちょっとの距離を走っていたが、市内が混んできたら、出発地が地下鉄・赤い線の終点、ゴッバ駅に移って不便になった。プルマンは便数も、朝と夕方が主で昼間は走らない。

 自由がきかないから、車を買うことに決めた。

 イタリア人の人事担当者と一緒に、ミラノ市内に在ったフィアットの工場まで出向いて、まだ組み立てラインを流れている車を見て注文した。契約は100%の買い取りではなく、まずは2年間の契約で、初期基本価格と2年間の減価償却分を払うというものだった。契約期間が終わった時に残存価格を払うか、フィアットに買い取ってもらうかというオプションつきだった。

 それが、フィアット850スーパー。850㏄のエンジンを乗っけたかわいいRR車だった。エンジンが後ろについて、後輪を駆動する構造だ。RRはその頃、ヨーロッパで主流だった駆動方法で、フランス・ルノー、ドイツのフォルクスワーゲン・ビートルなども同じ駆動方法を採用していた。駆動輪に重心があるから効率的だったのだろう。逆にハンドルはすごく軽かった。



Fiat850s

 ハイギヤードで、平地はガンガン走る。150キロくらいの巡航が可能だった。しかし、登りは不得手で、アクセルを床にまで踏みつけてもスピードは上がらない。しかし、しかし、この車のおかげで、スイス、オーストリア、ドイツ、フランスと走り回れたのだから、忘れられない。

 僕の親しいイタリア人の友達は、憧れのアルファロメオのジュリエッタに乗っていた。運転させてもらったけれど、全くの別物だった。姿も美しかった。

 ダルなフィアット850だったけれど、愛嬌のある丸みのあるシルエットは、この車のちょっと前に出たイタリアの大衆車、フィアット500の後継車で、デザインも似たものだった。500は日本で言うとパブリカに相当する位置づけだった。



Fiat500

 この後、一時、駐在が途切れるけれど、4か月後にミラノに舞い戻っていた。仕事がうまく進まなかったためだ。日本の駐在員がいなくては、なかなか、約束通りにはいかないイタリアだ。日本の同僚は、僕がミラノに帰るために、細工をしたのだろうと皮肉ったりした。でも、ミラノに惚れていたから、喜んで単身で出かけた。



Fiat128

 その時の車はフィアット128という、前にエンジンを乗っけて前輪を駆動する、今では当たり前のFF形式の秀逸な設計の車だった。この形式を発明したのがフィアットだったのだ。それから今日まで、プロペラシャフトのトンネルの無いフラットな車内スペースを確保しながら、でかいエンジンを乗せられる形式として、世界中に定着していった画期的な車だった。

 850に比らべれて全く違う車だった。これなら、その頃のフィアットの花形だった124と張り合って、アウトストラーダを走ることが出来た。

 アウトストラーダも、フランスのアウトルートも、ドイツのアウトバーンもそうだけれど、運転していて、何を注意していなくてはならないかが、日本とはまったく違う。日本だと前を向いて、時々サイドを確認して、時々はルームミラーで後方を確認して運転するのが普通だけれど、ヨーロッパではそうはいかない。

 一番よく注意していなくてはならないのは、後方。スピード制限のない高速では、後ろから近づいてくる立派な車をできるだけ早く発見することが安全上、一番重要。ポルシェでもフェラーリでも高速車はブレーキをかけるということがないと知るべきだ。

 ポルシェの特徴ある姿をルームミラーで確認したら、とにかく追い越し車線から走行車線に戻って、追い越し車線を開けることが大切だ。ぴかっとパッシングライトが光ったと思ったら、もうすぐ後ろに車は来ている。僕の車が150㎞で走っていても、相手はその倍の300㎞で襲ってくるのだから、うかうかしているとはね飛ばされる恐れがあるのだ。何度か怖い思いをした。

 日本に帰ってきて、初めて日本の車を買えたのは、マツダのファミリアだった。理由は簡単。モンテカルロラリーで優勝した車だったからだ。

 最近、フィアット500に乗ることが出来た。新しい500だから、エンジンは1300CC。楽しい車だった。アウトストラーダを平気で160㎞位で走る。安定性は抜群だった。でもやっぱり、高速車には歯がたたない。やはり、道を譲ろう。



新しいFiat 500

 注:読んだ記事 “Fiat: la storia dei modelli dal 1899 a oggi”font>