M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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泥んこのぬいぐるみたち

2018-07-01 | エッセイ


 なぜ、子供たちはみんな、動物のぬいぐるみが好きなのだろうか。



 <泥んこのテディベア>

 最近は、メディアを騒がすことが少なくなったが、中東からヨーロッパへの避難民の子供たちが残していったぬいぐるみの絵をたくさん見た。

 マケドニアの国境の子供たちは、泥んこになったテディベアと遊んでいる。このぬいぐるみも、何百キロも、子供たちに運ばれてきたものに違いない。避難民シェルターの生活の中でも、ぬいぐるみに触れていると、たとえ泥んこになっても顔は笑っている。厳しい境遇にもかかわらず、彼らはみんな笑顔だ。これは、このぬいぐるみの持つ力によるものに相違ない。



 <マケドニア国境のぬいぐるみ>

 この子供たちはどこへ行ってしまったのだろう…と思う絵も見た。おびただしい数の泥んこのぬいぐるみが、子供たちの手を離れて、置き去りにされている。過酷な家族での逃避行の中で、大人たちに邪魔だから置いて行けと命令されたのかもしれない。置いてきぼりにされた、ぬいぐるみたちも、悲しそうだ。持ち主の子供たちはどうしているだろう。立て掛けてあるのが、子供たちのぬいぐるみへの気持ちを現わしているのかもしれない。懐かしいぬいぐるみたちの姿だ。



 <残されたぬいぐるみたち>

 このおっきいの熊は、置いて行けと言われたに違いないと、容易に想像がつく。親も、子供も、そしてぬいぐるみも、みんなつらい思いだったろうと思う。このぬいぐるみがそんな物語を僕たちに伝えてくる。子供はつらくて泣いていただろうと思いが飛ぶ。



 <一人ぼっちのぬいぐるみ>

 発達心理学に、骨組みは同じ鉄製でも、はだかのままのミルクのサーバーと、やわらかい布地で骨格が覆われたミルクサーバーの、どちらに動物が近寄るかという有名な実験がある。動物実験でも、柔らかい布に覆われたミルクサーバーに動物は向かうというのが結論だ。

 スヌーピーの仲間のライナスが、ボロボロになったタオルを年中離さないのは、同じ行動で、「移行対象物」:Transitional Object とよばれ、「子供から大人へ」の移行期に現れる現象だそうだ。だから、みんな、子供は、汚い毛布の端切れをも大切にするのだろう。



 <子ザルの実験>

 これは、人間に限ったことではなく、他の動物にも見られるようで、いたるところに、ぬいぐるみを大切にしているワンやニャンを見ることが出来る。



 <忘れられたワン: Forgotten Dogs of 5th Ward Projectから>

 このワンは、自分も家族から見捨てられたようで、大切にしているパンダのぬいぐるみを抱いて、淋しさと戦っているのだろう。

 ワンニャンだけではない。想像もしなかったが、カンガルーだって、ぬいぐるみは大好きだ。この仔は、大きなテディベアももらって、愛しんでいるようだ。誰にもあげないという意志が見える。



 <カンガルーとぬいぐるみ>

 個人的な経験を話すと、5年前に3.11で甚大な被害を受けた宮城県石巻を訪れた。医師や看護師さんたちが命を張って、避難民を助けて有名になった旧石巻市立病院跡を訪れた。その頃には、病院の建物はもう壊されていて、かさ上げのダンプの行きかう殺伐とした、かっての住居地跡を見ているとき、小さな泥水の水たまりを見つけた。

 そしてそこに、震災から5年たったまま、水に浮いているテディベアの姿を見つけた。5年間、持ち主の子供のもとに引き取られなかったとすれば、ショッキングな話だが、持ち主の安否が気にかかる。横浜に帰って宮城の地元の新聞社に電話して、いきさつを話し、テディベアの写真を送った。もとの持ち主に戻ればいいと思ったわけだ。



 <石巻の水たまりに浮かぶテディベア>

 結果は無駄だったようだ。

 あるマンションのベランダに、洗濯され、干されているテディベアを見つけた。何か、ホッとしたあたたかさが満ちてきた。幸せなテディベアも、ちゃんと存在するのだと、心が和んだ映像だった。