M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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海外の空港たち-5 ブラッセル

2019-06-23 | エッセイ・シリース

  IBMの上級マネジメント教育は、ヨーロッパ各国をまとめてブラッセル郊外のLa Hulpe(ラ ユルプ)というホームステッドで行われていた。ここは、本来的にはIBMのお客様への研修提供の場だった。

 

 <飛行地図> 

 成田 → シャルルドゴール ⇔ ブラッセル → リナーテ  マルペンサ → 成田 

 幸いこの教育に、僕はノミネートされて2週間、さらにその後、IBMの製造システムアーキテクト研究会で2週間、ここにいることができた。特に、あとの研究会では、若い親しい友達ができて、こんな幸せはなかった。

 <ブラッセル空港> 

 ここは、首都ブラッセルから南東、17kmの所にあり、車で15分。ブラッセル空港からも南に20km位のアクセスがとても良い所に位置していた。残念ながら今はIBMが手放して、ホテル・ドルチェ・ラ・ユルプになっているようだ。

 

 <ホテル ドルチェ・ラ・ユルプ HPより> 

 自然環境にはとても恵まれたロケーションで、あのナポレオンがイギリス・オランダ連合軍およびドイツ軍に破れて、エルバ島に流されるきっかけとなった「ワーテルローの戦い」の丘に隣接した森の村だった。

 

 <ワーテルローの戦いの丘> 

 ラ・ユルプではよく遊び、よく学んだとの実感がある。ここには、24時間解放の図書館とコンピュータルームがあって、徹夜で課題を解くことも可能だった。 

 遊びについて話すと、ブラッセルの中心街、中央駅まで夜11時まで無料のシャトルバスが運行されていて、気軽に中心街に出かけられた。有名なグラン・プラスにもなじみの店ができて、その店のデッキから、広場を埋め尽くす市場や、散策する人たちを見ながらベルギービールをなめていた。

 

 <グラン・プラス> 

 ラ・ユルプの滞在で、いちばんの友達は、僕よりちょっと若いイングランドのハズレー研究所から来たレヴィンだった。彼が教えてくれたのが、ラ・ユルプのバーに置いてあったCHIMAY(シーメイ)ビールだ。IBMの施設では、スピリット類は置いていなかったから、アルコールの入ったものはビールだけだった。

 <シーメイ・ビールとグラス> 

 このベルギーのビールは、ベルギーの修道院が作っている3種類のビールの中の1つで、普通は縦長のグラスで飲むビールを、シャンパングラスのような口の広がったグラスで、香りを楽しめよ!というものだった。度数は、普通のビールに比べれば高い9%だった。これにハマって、ブラッセル市内に遊びに出かけないウイークデーは、このビールで杯を重ねながら、よく彼と議論をしていたのを思い出す。 

 休みの日は、ブラッセルに出かけるほか、ゲントやブルージュと、フランダースの街を訪ねた。

 

 <ブルージュ> 

 中でも一番美しいと思ったのは、北のヴェネチアと呼ばれるブルージュだろう。北海に面した運河の町だ。中世の町を水がゆったり流れ、時間自体もゆっくりと流れているようだった。 


 普通は日本へというと、ブラッセル空港から、フランスのシャルルドゴール経由というルートだったが、いつも「ヨーロッパに来たら…」と声をかけてくれていたミラノの友人に会いに、ミラネーゼのカルロと一緒にミラノ・リナーテ空港へ飛んだ。もちろん研究会の延長線にあるシステムの調査という名目は付けた。 

 まだまだ、ゆっくりとした仕事が通る時期だったのだろう。本当に楽しませてもらったブラッセルだった。今ではEUの本部ができて、人が多くなっただろうと想像している。あの時のような、ゆっくりとした時間が、はたして今も流れているのだろうかと思ったりもする。

 

 

クレジット情報:

シーメイ・ビールは、Chimay社より、お借りしました。ライセンスは、Creative Commons 3.0 です。