M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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旧友たちとの再会 その2 ビッグ・ブラザー その後

2013-12-21 | エッセイ

 ☆ N、Yu、Sさん、Yさん、四人の元部下と会ったのは30年ぶり。



 僕の部門では、ビッグ・ブラザー制度というものがあった。新卒入社のSEに、仕事上の相談役としての役割、そして社会人としての成長にも先輩として関わらせた。新人一人に一人、3年以上の先輩の経験者を「兄貴・姉」として指名し、面倒を見させていた。一応、任期は2年。先輩としての指導力アップにもつなげたかった。

 NとSさん、YuとYさんはその組み合わせの中の二組。その彼らが、今も、時々会っているという。その会合に、Nさんが他のお仲間の意向も聞いて、僕を招待してくれた。こんなにうれしいご招待はない。

 彼らと一緒に働いていた頃は、僕もまだ新米の課長さんで、へどもどしながら、仕事をしていた頃だから、特に新卒SEの指導と言う意味では、ビッグ・ブラザーたちの活躍に助けられたことも多くあった。

 会う場所は僕に任せるというので、僕は渋谷の「つばめグリル」に予約しようとしたがダメで、品川の店に頼み込んだ。なぜ「つばめ」か…というと、ここのアイスバインが逸品。ドイツ料理への偏見を吹っ飛ばす味だということだ。ドイツ駐在時に覚えた味だ。

 品川の店で会ったら、ものの5分も経たないうちに30年前の空気になった。

 声をかけてくれたNさんには、特別の思い出がある。僕が新米のSE課長だった頃、僕の下にいたNさんは、癖はあるけど優秀なSEで、スタッフSE(係長)への昇進を僕が推薦し、昇進した最初のスタッフSEだった。

 その頃、I社では、社外の飲み会などは、全て割り勘だった。同僚は当たり前だと思うけど、偉い人も、上司も、平を含めた部下も、みんな割り勘、それが常識だった。それは、その頃の日本の常識では非常識だと思った。

 僕は大学時代のバイト先の先輩や上司におごられて嬉しかったから、このI社の慣習にはなじめなかった。それで、僕は僕の部下の係長昇進の時には、僕が個人的にお祝いをしようと決めた。勿論自腹だ。

 その最初がNさん。横浜駅の近くの小料理屋で昇進祝いの時間を持った。勘定の時、僕が奢るよと言ったら、Nさんはびっくりした顔をした。本当ですかと訊いている顔はほころんでいった。これは、新米課長の僕にとっても、昇進した彼にとってもうれしい記憶になった。

 その後も、一般職から係長への就任の時には、Nさんを前例として、僕の下にいるすべての部下の係長昇進に、このお祝い会を続けた。課長時代も、昇進する部下の数が増えた部次長時代も、ずっとやって来た。それが上司の常識だろうと思って、何十人もの部下と二人で、時には三人(昇進者が2人いた)で、お祝いの席をもうけた。それは部下を知る良い機会だった。それが、I社の割り勘の慣習を変えたかどうかは定かではない。

 女性SEのはしり、Sさんには忘れられないエピソードがある。Sさんが僕の課に配属されて、しばらくして、「Naだが、知人の娘さん、Sがそちらにお世話になっているようだから、よろしく頼む」と電話がかかってきた。「どちらのNaさんですか」と訊いたら、常務取締役だと言う。びっくりした。Sさんは、お嬢様だったのだ。

 じつは、SさんもYさんも津田塾の数学科。今もSEとして現役。子供も独立したから、仕事を続けられると言う。うれしいことだ。「その1」で書いたTさんの後輩だ。やはり、SEは女性には適職。今や在宅勤務が可能になったから、より可能性が広がっているだろうと思う。

 もう一人の男性、Yuについては、僕のI社への新卒入社の頃、東京大田区のCサイトで、同じ大部屋にいた別の課の課長さんの親父さんにまでさかのぼる。大きな声で話される、みんなに慕われていた快活な人だった。I社の明るい社風を教えてくれるスポーツマンでもあった。そして、息子のYu。明るくて、よく気がつくスタッフSEだった。今もその明るさ、闊達さは親父と変わらない。

 Yuとペアを組んだ新人、Yさんは、Sさんの同期で、同じく津田塾の出身。目立ちはしないが、コツコツと成長していった記憶がある。今回分かったことがある。入社後、「お嬢」こと、Sさんのガード役だったってことだ。悪い虫がつかないように、おちゃめな、しかし、しっかり者の友達としてSさんに密着していたという。Sさんは「お嬢」として守られていたのだ。もちろんYさんの考えでのことだ。

 この会のあと、Sさんから貰った“あっという間に30年さかのぼれました”とのメールは、嬉しいものだった。

 また会えるかどうかは分からない。部下が成長してくれたことを確認できると、僕自身もほっこりするわけだ。

 P.S.
 この会の勘定は、僕は払わせてもらえなかった。幹事のNさんの好意に甘えました。



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