僕は、三頭のミニチュア・シュナウザーを飼ったことになる。 合計すると30年以上のシュナウザーとの楽しい生活だった。 個々に色々な思い出があるので順番に話していくしかないと思う。
ABC を考えながら名前をつけていたのか、最初はアンナ(A)、2番目は娘がつけてくれたベーβ(B)、次は チェルト(C)だった。D(ドクター)は カミさんの実家で付けてくれたが、病気して早くに亡くなった。
今は嫁いだ娘の家で、エマ(E)が元気にしている。娘が合計、二頭の名付け親になった。
1. アンナの物語
最初の子は アンナと名付けた。AKCの登録は ジョアンナだけれど、呼びにくいからアンナになった。
会社の先輩の家で初めて目にした犬種だった。ミニチュア・シュナウザーと言った。アンナの父も母も、アメリカの元チャンピオン犬だった。
<AKCの定義するミニチュア・シュナウザー>
その頃は、シュナウザーがまだ日本全体で3000頭以下だった。
彼の家ではよく吠えていたが、とてもユニークな顔立ちなので、僕が欲しくなった。 家では、その年の7月に(2番目の子、長女)が産まれ、大変な時期だった。 一番カミさん大変だったと思う。アンナ(♀)は、大阪から新幹線に乗って相模原の獣医さんへ着き、そこから僕んちに来た。僕は嬉しくてたまらない。初めて自分で飼う犬だったからだ。長男はとても喜んでくれたが、相談もなく飼ったので、カミさんは愚痴っていた。 でも、結果としては、ちゃんと受け入れてもらって、優しく育てられた。
夫婦喧嘩などをしていると、間に割り込んできて「やめなさいよ」と言っているようだった。 誰か家族の体調が悪いとを感じると、その人にくっついて「大丈夫?」と聞いているような仕草をする子だった。とても頭のいい子だったと思う。
<アンナ>
僕の旅にも、よく付き合ってくれた。 バリケンが折りたためたので、それを持ってアンナを車に乗せて 三浦の別荘によくいったものだ。海にも一緒に出かけた記憶がある。 三浦半島の 長浜だ。 友達とも仲良くなって、ついてまわっていた。シャワーに行こうとしたら アンナもくっついて女性用のシャワー室に入り込んだ。 キャーという声が聞こえたけれど、僕は中に入ることができない。最終的には、友達がアンナを連れて出てきた。 みんなに優しくされていたよと聞かされた。
家族でよく行くドイツ料理屋さんでは、必ずアイスバインの骨をドギーバッグにいれてお土産として持って帰ったものだ。 アンナは、時には骨を食べないで庭に穴を掘って埋め込んでいた。後で食べようと考えたようだけれど、忘れてしまって、その後、大雨で何本もの骨が庭から見つかったことが思い出される。
<アイスバイン:真ん中の骨>
知った人にはとても良いのだが、知らない人には結構吠えて、時には玄関フェンスを無断で開けた行商の人に噛み付いたり、郵便屋さんに吠え掛かかったりすることもあって、近所では吠えイヌとして有名になってしまった。
このシュナウザーは、病気がほとんどなくて元気だった。 でも2回ほど入院することがあった。2度目の時は、腸捻転で入院して手術ということになった。 こちらからすれば、元気で頑張れよ!というつもりで 見ていたのだが、彼女はどんどん病院の中に入っていって、振り返ることもなかった。
アンナにはたくさんの、友達ができたけれど、一番仲良くなったのはイングリッシュセッターのXXX(名前を忘れた)ちゃんだった。 アンナはチビだけれども、大きな犬に対しても恐怖心は全くなく、背の高いセッターと負けずに元気で走り回っていた。一番印象的なのは、ゆうに60 センチくらい の草が生えた草原を走り回っていた時のことだ。 アンナの体高は40 Cm はあるかないかの体だったが、ジャンプして空中に浮いて、頭から次の草むらに飛び込んで遊びまわっていた。 この セッターとは本当に仲が良かった。 その子が癌になって、もう明日は駄目だろうという日に、飼い主さんに抱かれて僕んちに挨拶に来てくれた。 アンナはわかっているらしく、別れのキスをしていた。
<アイリッシュ・セッター>
お年寄りにはよくこの犬は「のらくろ」の犬ですかと尋ねられた。そういえば口の周りのヒゲが特徴のシュナウザーは、戦前の漫画「のらくろ」に似ていると言えば似ていると思う。 とにかく、サイズの大きな犬でもちっちゃな犬でも必ず挨拶しようとするのが常だった。 普通だったらビビりそうに大きな犬でも、平気でアンナは近づいて挨拶をしようとする。向こうの飼い主は心配していたけれど、僕からこの子は大丈夫ですからと言ったことは何度もあった。 人見知りをしないというのが正しいだろう。
一番、アンナにとって怖かったのは最初の外泊だったと思う。家族みんなで八ケ岳の清里の犬と一緒に泊まれるペンションに2泊した。 アンナは食堂で他の沢山の犬に会うと吠えまくっていた。 ペンションの女主人が大丈夫だよと声をかけて撫でてくれたけれども、彼女の興奮はなかなか治らなかった。 あんなに騒いだアンナは、あの時以外に見たことはない。そういえば清泉寮で初めてウサギを見たね。友達になろうとしたのだが、無視されていた。
<清里 清泉寮 By 663highland Creative Commons 3.0>
アンナは僕が家に帰ってくると、必ず玄関で座って待っていた。 おそらく僕の車の音を聞きつけて、角を曲がって家の方に近づく時には、もう気がついていたに違いない。 可愛いやつだった。 下のチビと同年齢なので本当に仲良かった。殆んど20年間、一緒に育った。スーパーへ車で一緒に行っても、大人しく車の中で待っていた。うちのキッチンに大きな白菜を置いておいたら、いつのまにか白菜が痩せこけてくるのに気づいた。注意深く見ていると、アンナが時々つまみ食いしていたので、白菜は痩せていったのだった。 今となっては、懐かしい出来事だ。
アンナは必ずケージで寝るように育てた。 夜中に動き出すということは許されていなかった。 昼間でも気が付いたら、自分でケージで寝ていたりする。バリケンの中が安心だったのだ。アンナは食いしん坊で、 怖いもの知らずでもあった。 おそらく自分を犬だとは思っていないのではないかと思っている。あたいは、他の家族みんなと一緒だもんと思っていたかもしれない。
アンナは元気で過ごして19歳10ヶ月ほど生きた。 横浜市の20歳の表彰が目の前だった。 最後の頃には認知症が進んでいて、もちろん白内障で目は見えなく、鼻はどうなのかはわからないが家の中は自由に動き回っていた。 お日さまが大好きで、温かいのが好きで、常に日向を求めてうろうろしていた。ある時アンナがいないと騒ぎになって、皆で探してみると、南側のガラス窓とソファの間に落っこって、挟まってじっとしていた。笑って救い出してやった。
<アンナ>
アンナを亡くしたのは、僕が月曜日に出社する朝、一声ワンと鳴いて息を引き取った。僕はアンナのバリケンのある隣の部屋で寝ていたから、その一声を聞いた覚えがある。 亡くなったと分かった時は、まだ体はあったかかったから、頑張ってさようならを一声言ったのだろうと思う。
その月曜日、アンナが 亡くなったショックで、僕は会社に行くことができなくて休むことにした。 家のものみんなで泣いていた。とても仕事ができるような感情ではなかった。 会社に電話した。僕の秘書は、休む理由として「家族に不幸があって…」と僕が言ったので 、会社では大騒ぎになったと次の日出社した時に聞かされた。 家族というのは犬だということが分かって、みんな、なあんだという顔になったのを覚えている。
アンナは近くの斎場の動物専用窯で焼かれた。 さんがご覧なさいと言って教えてくれたのは、上下とも完全に残った歯だった。真っ白だった。 こんなに残っていたんですよと、さんが言ったのを忘れない。良い丈夫な歯を持っていたから、長生きできたのだ。
小さな骨壷に入ったアンナは犬の墓があるお寺に預けることにした。 この寺は、東海道新幹線から見えるところにあるので、出張で京都に行く車中から、その寺を見てアンナを思い出している。
頻繁に、寺から連れ出して家の居間に置くこともあった。 5年後ぐらいに、合葬することに決めて、アンナはこの世から物理的にも消えた。しかし僕の心の中には最初のシュナウザーとして、忘れることのできないアンナである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます