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先日、横浜美術館で見てきたモスクワにある「国立プーシキン美術館」の展覧会で思ったこと。
猛暑の中の突然の鑑賞だった。
この展覧会は見逃してはならないと、どこかで行っておこうとは思っていた。会期は9月の中旬までだから、9月になると混むだろうとも考えていた。かといって、35℃に近い8月にわざわざ出かける勇気もないなぁ…と迷っていた。
その日、洋光台へ出かける用事があって、首都高・湾岸線でプジョウ君を走らせていた。三溪園を見ながら運転していて、車の中はエアコンが効いているから、みなとみらいで電車を降りて、てくてく歩いていくより車の方が楽かも…と思いついた。あとは、行く時間という物理的な問題。
幸い、洋光台での用事は簡単に終わって、久しぶりに長崎ちゃんぽんを昼食にと、リンガーハットに入った。店はガラガラ。何だか一番乗りのようだ。時間は11時15分くらい。もしかすると、展覧会も、展覧会場への道も昼休みにかさなるから一番空いているかも。12時過ぎには横浜美術館に入れるかもと思った。だったら、ラッキー。
定番のちゃんぽんとギョーザを食べ終わったら、11時40分。今日、車で行こうと決めた。
久しぶりに本牧、山下公園、県庁前を走って、みなとみらいの美術館に着いたのが、12時20分くらいだったろうか。車で行ったことがない横浜美術館だったけれど、ランドマークタワーの近くにサインを見つけて、楽勝。幸い、駐車場は満杯ではなかった。
でも、想像しないことが起きた。地下の駐車場から地上階に上がってきたら、熱風吹きすさぶ美術館の左の端っこのウイングに出てしまった。てっきり、駐車場からエレベーターで上がれば、エントランスと思い込んでいたのが外れた。まぁ、直接太陽の下を歩く必要はなかったので、心臓君にガンバと言いながら、エントランスへ。
昔から、ロシア帝国はフランスに強いあこがれを持っていた。その証に、ロシアの宮廷では公用語はフランス語だったと聞いたことがあるくらいだ。エカテリーナ二世を中心として、ロシアの貴族はフランス絵画にぞっこんだったわけだ。
16世紀から20世紀にわたる300年の、選りすぐりのフランス絵画を見ることができる展覧会だ。会場がいつものようにごった返しているかと心配しながら入っていくと、人は多いけれど、まぁなんとかなる程度。
いつもこういう展覧会に行くと、嫌なことが一つある。いや一つが、その悪い影響で、二つの嫌なことに化ける。それは、音声ガイドというやつ。大嫌いだ。今回も、とうして聞くと30~40分くらいのガイドを貸し出している。水谷豊のナレーションというふれこみもある。利用者が多い。
このガイドを聞いている人は、まじめなのか、全ての絵を見なければ損だと思っているのか、ガイドに従って従順に、順々に、順路通りに進んでいく。これはたまらない。追い越し禁止ではないにしても、手摺にぴったり張り付いて、作品から作品に移り、まじめにガイドを聴いて、聞き終えたらおもむろに次に進む。
僕はせっかちなせいもあって、そんなまどろっこしいことはできないし、やったことがない。自分の感覚に従って、ドンドンすっ飛ばすところはすっ飛ばす。ピクリときた作品があれば、そこで止まる。そして、絵を見る。
人の流れは手摺に張り付いて流れるから、まず時間がかかる。さらに、音声ガイドを聴き終るまで、その人はその絵の前で立ち続ける。だから、後ろから絵全体を見ようとしても、見ることができない。僕はだいたい日本人の平均の伸長(175cm)だから、絵の全体が見えなくて、部分的に切れた絵を見ることになる。これが二つ目の嫌な現象。
ドンドン、自分の感性を信じて、見ていけばいいのにと思うのが、そうもいかないようだ。ヨーロッパのムゼオでは、見ている人が、自分の立ち位置が他の人が絵を見る妨げになっていると気がついたら後に引いて、絵全体が見える位置で鑑賞している。しかし、そういうことは日本では期待できない。
僕は、爪先立ったり、伸び上がったりしながら、品定めをして、ピンときたら、絵全体が見えるところまで近づいていく。しかし、必ず、絵の下の部分は人陰に隠れて、見ることはできない。仕方がない、その部分が見えるまで待つか…。
展覧会としては、点数も70点弱でちょうどいい。結果として、僕に足を止めさせたのは25点。どうしても、19世紀後半からの作品になる。
コロー、ミレーに始まって、マネ、モネ、ルノワールと続く。もともと僕はモネが大好きだから外せない。そしてこの展覧会の目玉、ルノワールのジャンヌの肖像となる。僕はルノワールが、あまり好きではない。シャープさに欠けるのだ。でも、このジャンヌの肖像はよかった。過度の色は無く、女性の柔らかさ、優しさがにじみ出ているやさしいかわいらしい娘さんだった。
後は、ドガ、ロートレック、セザンヌときて、一気にマティス、ピカソ、マリーローランサンとなる。こういう時は、「人はかき分け」ではないけれど、絵、全体が見える位置を探す。前に出たり、引いたりと位置をずらして、憎っくき黒いシルエットの人影を避けるわけだ。
僕は、ゴッホもゴーギャンも僕の趣味ではないから、ドンドン飛ばす。ゴーギャンの「働くなかれ」の題目にはなるほどと感心した。
後は僕の大好きなシャガール。あまりよくなかったけれど、敬意を表しておしまいだ。
日本の観客は、もっと自分の直感を信じて、自由に絵を見ればいいのにと、もうせん東京芸大のフェルメール展で感じたことを、再び思い出した。
午後1時半前には、美術館を出て車を転がしていた。僕にとって、楽しかった展覧会だったことは間違いない。
脳梗塞で倒れてリハビリ中の親友に送るため、ジャンヌの肖像の絵葉書を買った。
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