M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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小諸から追分、そして軽井沢

2015-09-12 | エッセイ

 3年来の八ヶ岳の計画は、もともとは新幹線で軽井沢へ。そこでレンタカーで八ヶ岳へ。2泊して、つまり、丸一日を八ヶ岳の東麓を訪ね、帰りに小諸、追分を訪ねて、軽井沢でレンタカーを返して一泊。翌日、新幹線で東京へいうのが基本計画だった。

 狙いは、浅間のふもと、懐かしい追分から浅間に近づき、そこで、5月初めの落葉松の美しい、かわいい芽吹きを見て、そこから懐かしい八ヶ岳への旅の予定だった。つまり、裏から入るつもりでいたのだ。



 <浅間遠望>

 この行程のために、八ヶ岳のホテルを予約し、軽井沢の駅レンタカー予約し、軽井沢の宿を予約し、もちろん東京・軽井沢間の往復の新幹線の予約が必要だった。それなのに、天気予報で八ヶ岳が雨になると、すべてオジャン。すべての予約をキャンセルすることになる。

 これを3年繰り返したのだから、厭になってきた。それで、まずは5月の初めという条件を外した。さらに、体調と相談して、心臓君の発作の頻度が幸いにも下がってきたから、リスク含みだけど自由に動ける自分の車で八ヶ岳に行こうと、予約・キャンセルのいらない旅にしたのだ。

 だから、今度は、八ヶ岳から追分、軽井沢を歩いて、八ヶ岳に戻るという旅になった。八ヶ岳高原を楽しんだ翌日、僕は、北に流れる千曲川に沿って、小海線を横に見ながら北上することになる。千曲川、つまり信濃川の源流は、昨日、行った川上村だと初めて知った。川上村に分水嶺があったのだ。

 幸い曇り。小海線に沿って、佐久平まで下りていく。1360mから660m迄、700mの標高差だ。この道も昔と少しも変わらない。松原湖まで下りれば、山道のカーブはなくなる。運転していると、記憶の底から予感が浮かび出る。この先に、きっと踏切があったはずだ。ちゃんとあった。

 小諸に向かったのは、僕が大阪市大の1年の夏に初めて入った信濃が、中央本線経由の小諸だったから、最後に一度は見ておこうと思ったのだ。さらに、この懐古園では、何時だったかはっきりしないが、初恋の女子美生と一緒に拓本を取ったことがあるのだ。(スキャンしてみたけれど、全く読めない。)



 <拓本>

 それに、15年前に小諸から高峰高原に登る前に食った蕎麦が美味かった印象があるからだ。しかし、期待は見事に裏切られた。草笛という有名な蕎麦屋の蕎麦は、盛りはいいが、そばの味がしない。失敗だった。小諸は、新幹線の駅を佐久に取られ、高速からも遠い田舎町になって、全く人の気配がない。千曲川のほとりで、懐古園とともに朽ちて行く宿命のようだ。



 <追分宿>

 追分は、期待通りだった。ここには何度来たかわからない。初めは恋人、ニャンコとの旅。追分駅まで歩いてスケッチに行った。堀辰夫が書いていたように、御代田の谷間から、SLが昇ってくるドラフトの音を聞いたような気になった。SLは今も御代田駅に残っているが、その頃SLが走っていたかは定かではない。

 追分には、親父のお弟子さんがやっていた本陣という小さな宿があった。ここに、親父たちや、僕の友達と滞在したことが何度かある。この辺の土地を別荘地にと勧められたことがあったが、買っておけば今頃、追分に別荘があったかもしれない。

 大学の4年、卒論を書くために、2週間の滞在予定で、旅籠の油屋にお世話になった。今回、行ってみると、油屋は最近まで宿屋をやっていたという。懐かしい、建物はそのままの風情だった。追分宿に相応しい。中山道と北国街道の分かれ道が追分なのだ。



 <油屋>

 堀辰夫記念館にも思いだがいっぱいだ。ニャンコと訪ねた時、堀さんは亡くなっていたが、偶然、奥様の堀多恵子さんとお会いすることが出来た。堀辰夫が愛した、追分から御代田へと下る浅間山のやさしい稜線が見える書斎に、多恵子さんが案内してくださった。そんな記憶が鮮明だ。

 そして、何度か、ここで、落葉松の芽吹き、小さなとげの塊の連なる落葉松の林を見たのだ。これこそ、旅の一番の目的だったのだが、7月には、立派な小枝になっていた。



 <落葉松の葉>

 追分から18号を軽井沢にたどると、中軽井沢を通る。ここは、子供たちとの思い出の詰まったリス庵への道。会社の寮で、安くて、何度も連れてきていた。長男が、そこで出されたアユの甘露煮が大好きになって、頼み込んで分けてもらったこともある。

 旧軽井沢は曇っていた。碓氷峠の見晴らし台まで行く予定だったが、霧では浅間も、妙義山もみえない。あきらめて、旧軽井沢銀座を歩いてみたが、その変わり様には驚いた。落ち着いた旧軽銀座の面影は全くない。舗装が、明るく派手な色になった。両側の店も、古い店は見当たらない。唯一、浅野屋さんは健在だった。

 二度と来るものかと思わせたのは、中国人の観光客たち。大声で、傍若無人な塊だ。レンタ・チャリで、そこのけそこのけと走り回る。ゆっくりとは歩けない。東京の銀座でも同じ現象が起こっている。残念。旧軽銀座の駐車場のおじさんが、すっかり変わって、もう昔の風情はありませんやと言っていた。

 唯一、軽井沢の救いは万平ホテルだった。ロビーの感じも、左側の喫茶室も、昔のまま、静かな時間が流れていた。



 <万平のカフェ>

 もう帰ろうと、何処にもよらず、ひたすらカーナビを見ながら、八ヶ岳高原に帰りついたのは夕方だった。ホテルの飯は高いので、昨日と同様、セブンイレブンで、つまみと弁当を買って、シャワーを浴びた。その日の気分は、追分はいい感じだったが、軽井沢は最悪だった。もう二度と行くものかとつぶやいた。


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