M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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無邪気なガキ、YMさんが天国へ

2015-07-04 | エッセイ

 
 本当に突然の知らせだった。

 上司だったこともあるI社での古い友人、YMがなくなったと元部下からメールが入ったのは4月の末。そうでなくても、4月には「逝っちまった二人」に書いたように、友人といとこがこの世を去っていた。それで十分なはずだった。

 神様は、春、4月になると残酷になるらしい。T.S. EliotのThe Waste Landを思い出す。

 The Waste Land  T.S. Eliot (1888–1965). 1922.

  APRIL is the cruellest month


 YMさんは僕と同い年。彼は元気印だったから、カスケットリスト(棺桶リスト)の「会いたい人」の中では下のほうだった。こんなに早く逝ってしまうとは…。トホホ。



 <YMさん>

 彼との歴史は長い。

 1971年に、彼を含めた僕たち5人は南仏・モンペリエで、2か月半を過ごした。もちろん仕事だ。24時間、寝食を共にしたわけだから、すっぽんぽんの本当の姿が透けて見えてくる。僕も、すっぽんぽんに分かって貰ったと思う。その後もお互い、システム屋として長い付き合いだから、YMのことは一応わかっているつもりだ。

 スポーツマンで、さばさばした行動や、物言いの快活な理想的なリーダー像を見せていた。でも本当は、彼はでかいガキ。憎めない性格と子供の心を持った奴だった。狡猾さなどみじんもないナイーブさを隠していた。彼は、本当はシャイ。そしてデリケートなのだが、それを表には見せない。

 モンペリエの頃、彼はまだ、未だアルコールがダメで、レストランでみんなと食事をすると、ワイン代で常に「割り勘負け」していた。酒の強いSさんと僕が、常に「割り勘勝ち」。YMはいつも真っ赤に酔っぱらって、高いワイン代を払わされていたのを思い出す。もちろん、その後、彼は努力して、酒が一応飲めるようになったが。



 <モンペリエ>

 彼が僕に借りを作ったのは、バルセロナへの旅。彼は、モンペリエ大学(フランスでは3番目に古い大学)へ、日本から留学していた女子学生と付き合っていた。ちょっとぽっちゃりで、無邪気な色の白い子だった。僕も何度かあったことがある。名前は忘れた。

 復活祭の休暇で、スペインのバルセロナまで出かけることになった。みんな初めてのスペイン。はしゃいでいた。楽しみにしていた。その旅に、YMはその女の子を連れて来た。当然、彼が面倒を見ると、皆が思っていた。

 しかし、着いた日の夜、その子はYMにすっぽかされて、ランブラース・ホテルのロビーで泣きべそをかいていた。YMは同期のSと、ナイトクラブに出かけて行ってしまったのだ。その夜、僕はフラメンコを見に行く予定だった。泣きそうなその子を僕は放っておけず、フラメンコにいっしょに行くかいと訊ねた。その子は頭を縦に振った。



 <バルセロナ・ランブラス通り>

 その夜、彼女のお守りさせられたのは結果的には僕。100%安全な子守役を果たした。

 翌日、YMはすまなさそう、僕に付き合ってバルセロナの郊外、モンセラートの岩山に登った。彼が修道院なんかに興味はないのはわかっていた。彼は口には出さないけれど、昨夜はゴメンと言っているみたいだった。

 日本に帰ってきてから、その子とはどうなるのかと見ていたが、数年したら、スポーツ好きなしっかりした女性と結婚した。ああ、あれでモンペリエの物語は終わったんだなと思った。

 僕が、I社を早期退職して、18年。YMとは会うことはなかった。2006年ごろ、日本に「モンペリエ同窓会」というものがあるので、一緒に出掛けないかとYMから誘われたが、僕の体調が悪く、仙台から東京までは出かられなかった。YMは僕の本、「父さんは足の短いミラネーゼ」を数冊持って行きたいので注文中だという。僕は、手持ちがあるからと、5冊くらいをYMに送った。この本の中に、モンペリエのエピソードも書いてあった。

 そして2年前ぐらいに、フェースブックで「友達」承認リクエストがYMから来た。

 僕は、こんな返事をした。

 YMさん、ご無沙汰しています。「友達のリクエスト」いただきましたが、「保留」にさせていただきます。

 I社―藤沢、大和、箱崎、野洲と、たくさんの知り合いがフェースブックを利用されているのは知っています。そんな中で、もしYMさんと僕が「友達」になったりすると、共通の元部下の連中は「右にならえ」で、きっとリクエストを出してくると思います。そうなると、なんだか昔の世界に引き戻されるような気がします。

 僕は新しい世界でフェースブックを利用していますので、ご理解ください。YMさんと連絡が取れることが確認できたわけですから、これはうれしいことです。どうぞ、元気でお過ごしください! 
 徳山(2013/01/03)

 こんな不躾な僕の返事に、YMさんは次のような返事をしてくれた。



 <IMさんのメッセージ>

 徳さん、あなたが元気でおられることが解っただけで私は嬉しく満足です。日常は殆どFBを使用していませんが、徳さんの名前が出てきたため消息を確認したく考えたまでです。

 私はお陰さまで、心身共すこぶる健康で、現在も現役で会社を経営しており、まだまだやり残したことが多々ありますので、ボケ防止もかねて、現役を続ける覚悟です。モンペリエ同窓会の折には、本を贈っていただきありがとうございました。お元気で。 
 YM(2013/1/06)

 これがYMとの最後のやり取りになった。

 ほんとは、彼はデリカシーの持ち主。それが僕たちの友情を保たせたのだと思う。

 聞いた話では、彼は酒を飲んだある席で、二人の子の父親として、「今になって、何処からか、隠し子でも現れたらなあ…」と冗談を言ったそうだ。彼の子供心が空想を描かせたのだろう。

 僕もカスケットリストの実行を進めよう。いつ相手が、いや、僕自身がくたばるかもしれないから…。


P.S.
バルセロナのエピソードを、僕の最初の単行本「父さんは足の短いミラネーゼ」に載せるとき、プライバシーの問題を考えて、彼の了解を取っておかねばと、2002年に連絡。彼は「構わないよ」と返事をくれた。本当は照れ臭かったのだろうが…。

なおこの本は、今は絶版。代わりに今は電子ブックをアップしています。無料です。http://forkn.jp/book/1912/ 


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