去年は冬、白一面の中「高村山荘」での事を思い出します。
愛する智恵子を亡くし… 光太郎62歳の時、
3畳半の山小屋で“山居7年”の孤独な生活が始まりました。
その中で智恵子の幻を追いながら、様々な芸術が生まれたのです。
そんなことを思いながら、GWの入る土曜日、
智恵子の里を通りながら家に帰ろうと。。
霞ヶ城公園を登ると、
智恵子の好きな阿多多羅山(安達太良山)の空が見えました。。
「あどけない話」
智恵子は東京に空が無いという
ほんとの空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ
智恵子は遠くを見ながら言う
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという
あどけない空の話である。
高村光太郎 (1883-1956)
#詩人、彫刻家。木彫家高村光雲の長男。
精神の病をわずらった智恵子との生活の中で詠った智恵子抄が有名。
著書には「道程」「智恵子抄」などがある。
画家として東京に居た智恵子ですが、
なんども家に戻っていたようです。。
緊急事態宣言の中…
一日も早く、通常の生活が戻りますように。。