私的音楽雑記帳
FOLK ETYMOLOGY
6/8 これから何回キッチンに立てますか?
桜の頃、職場近くの公園。
利用者さんと散歩するスタッフをパシャリ。
施設では、我々スタッフが高齢者をケア出来るけど、
ケアを必要とする人すべてがそういうところに入居出来るわけはなく。
福祉先進国といわれる北欧諸国は、施設の数は日本ほど多くはなく、
多くの高齢者たちは、在宅でサービスを利用しながら
最後まで自分らしい暮らしを、自分の暮らしてきた地域や場所で送っている。
サービスは充実していて、多くの人が施設入居より在宅を選ぶらしい。(友人談
)
日本はといえば、介護保険の改定が行われると共に
在宅ケアに力を入れた内容にはなっているけど、
問題は山積み。多くの人が病院などの医療機関よりも
住み慣れた家で最後を迎えたいと思ってはいるものの…、それも難しい。
難しいから、施設に入りたい。
不安だから、家では死ねない、みたいな。
最近の理事長の口癖は、
「ココで暮せる人たちは、幸せだと思う」。
そうかもしれないけど、そうじゃないとも思う。
施設を拠点とした形で
地域に暮らす高齢者(だけじゃなく、子供も大人も)を
包括ケア出来るような仕組みが作れればいいのに。
なんて、理想論を語るだけは楽チンですが。
今日と明日、在宅栄養ケアの研究会に参加しています。
講演の中で、人生80年、一日3回食事をとるとして、
80000回食事をすることになる、と先生。
高齢化するということはつまり、全身状態も低下すること。
キッチンに立つこともままならなくなり、料理も出来なくなります。
つまり、満足な食事をとることが出来なくなるので、
栄養状態も低下する。
そうすると、活動量はますます落ちて、負のスパイラルが加速する。
我々に出来ることは?
答えははっきり見えています。
私は、独創的なメニューを考案したり、
魚を綺麗にさばいたり、美味しいパンを焼くことは出来ません。
でも、キッチンに立って
あれこれ考えながら、時には考えずにご飯の支度をすることは
大好きです。
イッタラやアラビア、北欧の器を集めたりするのも
もちろん大好き。
これまで32000回ぐらいキッチンに立って、
これからあとどのくらい立つことが出来るのかを
考えた時、
ゆるやかに他人事ではない老いの気配を感じつつ、
共存の術をさぐっていくのもライフワークかなと
思っています。
さて、茶碗を洗おうか。
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