文春文庫 中野京子『運命の絵』を読了しました。
内容と感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。
【目次】
はじめに
ローマ帝国の栄光と邪悪 ジェローム『差し下ろされた親指』
擬人化された「運命」 ベッリーニ『好機』/デューラー『ネメシス』
一度見たら忘れない ムンク『叫び』
夜明けの皇帝 ダヴィッド『書斎のナポレオン一世』
謎々を解いた先に モロー『オイディプスとスフィンクス』/シュトゥック『スフィンクスの接吻』
アレクサンダー大王、かく戦えり アルトドルファー『アレクサンドロスの戦い』
風景画の誕生 ホッベマ『ミッデルハルニスの並木道』
事故か、宿命か ブローネル『自画像』『魅惑』
クリノリンの女王 ヴィンターハルター『皇后ウジェニー』
ドイツ帝国誕生への道 メンツェル『ヴィルヘルム一世の戦線への出発』
愛する時と死せる時 アングル『パオロとフランチェスカ』/シェーフェル『パオロとフランチェスカ』
ロココ式没落過程 ホガース『当世風結婚』Ⅰ~Ⅵ
年表 ナポレオン晩年の出来事
故国で行き倒れになるよりは ブラウン『イギリスの見納め』
コラム オペラ『運命の力』
少年は森に消えた ウォーターハウス『ヒュラスとニンフ』
聖痕の瞬間 マックス『アンナ・カタリナ・エンメリヒ』/ジョット『聖フランチェスコ』
ヴェスヴィオ火山、大噴火 ブリューロフ『ポンペイ最後の日』/ショパン『ポンペイ最後の日』
感じるだけではわからない ルノワール『シャルパンティエ夫人と子どもたち』
解説 竹下美佐
【内容】
命懸けの闘い、とめられぬ恋、英雄達の葛藤、そして、流転の始まり…。ルノワールやムンク、モローなど名だたる画家による“運命”の絵。それは、世紀の瞬間を捉えた名画であり、描いた者の人生を一変させた作品である。
絵画の奥に潜む画家の息吹と人間ドラマに迫る、絵画エッセイ。
【感想】
絵画エッセイの名手、中野京子の新シリーズ。相変わらず、解説の切れ味が鋭い。
それぞれについて、ざっくりとした感想を書くことにする。
はじめに
>一寸先は闇であり、予想も外れてばかり(天気予報みたい)であるからして、人は不安をなだめるためにも運命の不思議について考え続けねばならない、哲学で、宗教で、歴史で、オペラで、文学で。そして絵画でも。
まさに真理だと思う。哀しいかな、希望とは願望という名の幻想にすぎないのだから。
ローマ帝国の栄光と邪悪 ジェローム『差し下ろされた親指』
コロセウムで戦う剣闘士とそれを眺める観客たちが描かれている。興奮する観客、冷静に眺める観客、身分の差なのか人間性なのか…。
剣闘士を戦わせ、死闘を娯楽として見物させていたローマ帝国。人の命を使って遊び、楽しむ。なんておぞましいのだろう…。
擬人化された「運命」 ベッリーニ『好機』/デューラー『ネメシス』
山河を背景に、目隠しをした半裸で半獣人の女性が、金色の球体に乗り、手には金色の水差しを持っている。
解説なしには??な絵だ。これは「運命」の擬人像だそうだ。西洋絵画は抽象概念を、人間の形に擬人化して描くという伝統があるらしい。古典絵画は理論で成り立っているという。これは知識、教養がないと西洋絵画の理解ができないということだ。
日本人にはこの伝統がないので、感覚的にもほぼ理解不能だと思う。誰でも絵画を気楽に鑑賞してはいけないのだろうか?と思うが、印象派以前の西洋絵画は約束事で成り立っているので仕方がないというところか。とはいえ、絵画に興味のない方には、絵画鑑賞はますます敷居が高くなると感じた。
>チャンスはいつどこからやって来るかわからない。あっという間に通り過ぎてしまうので、考えたり逡巡してはならない。来た、と思ったらすぐさまその前髪をむんずと掴む必要がある。掴み損ねると取り返しがつかない。なぜなら彼女の後頭部は(たとえこの絵ではそうは見えなくとも)ツルッパゲなのだ。手がすべる。
これには笑った~!
一度見たら忘れない ムンク『叫び』
画面上を斜めに渡された橋の上で、人形のような人物が体をくねらせ耳を押さえて叫んでいる。遠ざかる二人の人物。フィヨルドの空は赤く血の色に染まっている。
ムンクの作品にずっと流れている狂気、不安は生い立ちやそこからくる女性問題にあり、生涯ついてまわっていたのだろうと、どの作品を観ても感じる。
この作品は何度も絵画泥棒に盗まれたといういわくつき。泥棒に作品に対する敬意を期待するのも無理だろうが、作品の扱いのひどさに泣ける。
夜明けの皇帝 ダヴィッド『書斎のナポレオン一世』
豪華なしつらえの部屋と家具に囲まれて、右手を衣装の中に入れ、立ってポーズしているナポレオン一世。
ナポレオンがロシアへ攻めこんだ年に描かれている。彼を讃える絵だ。
皮肉にもナポレオンはロシアで大敗し、画家も亡命の地ブリュッセルで亡くなる。栄光は永遠ではなく、一寸先は闇だと思わざるを得ない。
謎々を解いた先に モロー『オイディプスとスフィンクス』/シュトゥック『スフィンクスの接吻』
暗い山々を背景に立つ、全裸で長髪の青年オイディプス。彼の胸に飛び乗るのは半獣人で羽根をもつ、美しい女性の顔のスフィンクス。画面下に少しだけ死体と思われる手と足が見える。
モローといえば『サロメ』が有名だが、今回は『オイディプスとスフィンクス』。メトロポリタン展で観たが、なんとも不気味でエロティックな絵だった。
オイディプスの神話は江戸川乱歩か横溝正史、もしくは昼ドラ並みに運命に翻弄される物語。どろどろな人間関係にげんなりする。神話なのにな~。いや、神話だからか。
「エディプスコンプレックス」という心理学用語まで作り出し、オペラや演劇、小説にまでなった。それほど陰惨ながら魅力的なのだろう。
アレクサンダー大王、かく戦えり アルトドルファー『アレクサンドロスの戦い』
青空に雲が波打ち、地上では武装した兵士がひしめき合っている。ラテン語の銘板が濃いピンク色の布を翻しながら宙に浮いている。
はるか昔から今に至るまで、人類は相も変わらず、戦争をしかけたりしかけられたりしている。このことに気づくと、なんともいえない気持ちになる。進歩したのは殺戮のための武器や兵器だけか…。
風景画の誕生 ホッベマ『ミッデルハルニスの並木道』
青空に白い雲が浮かび、のどかな田舎の風景が広がる。画面中央には、高くそびえる樹木の並木道が続いている。
>本作は、見事なシンメトリー構図とともに、遠近図法のお手本としても名高い。
じっと見つめていると、この絵の中に入ってしまい、並木道を歩いている気分になる。
オランダ ミッデルハルニスには風車はないが並木道があり、かつて並木道は王侯貴族の私道だったそうだ。庶民を遮断し、選ばれた者しか通ることを許されなかったという。驚いた…。
新生オランダは公的事業として湿地帯を守るため、自然を征服して作り出した人工の景色が広がる。ここが日本画と決定的に違う。
ヨーロッパの「人間中心至上主義」には心底、驚かざるを得ない。日本人の自然観とはかけ離れているからだ。風景画が描かれるようになったのも遅い。このあたりがなかなか感覚として理解しづらい。
事故か、宿命か ブローネル『自画像』『魅惑』
薄いカーキ色であ塗られた暗い印象の画面、右目が失われ垂れ下がった顔は陰鬱。首から上を描いた画家の自画像。
「ポグロム」というロシア語を初めて知った。もとは「破壊」を意味し、歴史用語では「ユダヤ人に対する集団的・組織的迫害行為」のことだそうだ。「ホロコースト」は知っていたのだが…。多感な年頃に命かながらの逃亡を繰り返せば、トラウマになるのも必然だろう。
20世紀生まれの美術家の苦悩にも苛まれる。「自由」という名の「不自由」、圧倒的な才能がない者には辛いことだと思う。
若く美しい自分を片眼をなくした姿に描いた。後年、そのまま不幸な事故で再現されることになるとは…。まるで予言したかのようだ。
クリノリンの女王 ヴィンターハルター『皇后ウジェニー』
緑鮮やかな森に集う着飾った若く美しい女性たちが描かれている。中央の白いドレスの女性が皇后ウジェニー。
月の女神ディアナ(アルテミス)と取り巻きのニンフたちそのものだという。確かに神話のような現実離れした美の世界。しかも横幅4mを超す大画面、インパクト大だったろう。
“クリノリン”とは大きく膨らんだスカートのこと。この時代は「鉄の時代」にふさわしく、鳥籠型の薄く軽い鋼鉄の輪で作られた“シン・クリノリン”が登場した。ウジェニーが「クリノリンの女王」といわれたのは、このドレスを着こなしたから。背が高く、ウエストが細くないと似合わないドレス。
当時の男性諸氏がどう思っていたのかは?だが、無粋な意見を老美学教授が新聞に批判記事を書いたらしい。意味ないな。どんなに馬鹿馬鹿しくても、不便でも、一度、おしゃれ♡とされたら流行が去るまで止まない。
ウエストをコルセットで締めつけて体にいいわけがない。気絶するものが続出し、気つけ薬を召使いが持ち歩くほどだったという。コルセットを女性たちが手放すのは、ココ・シャネルの登場まで待たなければならないのだった。
ドイツ帝国誕生への道 メンツェル『ヴィルヘルム一世の戦線への出発』
菩提樹の並木道にひしめく群衆。道沿いの豪華な建物にはさまざまな旗が翻る。画面中央の左寄りには王室四輪馬車に乗る白い髭の老王と王妃。
この作品は、プロイセン王ヴィルヘルム一世の戦勝祈願パレードを描いていて、画面からは人々の歓声が聞こえてきそうな活気と興奮が伝わる。ここは、ウンター・デン・リンデン(菩提樹の下)という名の美しい並木道。王侯貴族専用の散策路。一人だけ場違いな新聞少年がいるが、号外を売るために特別に許されているらしい。
前述の風景画の誕生 ホッベマ『ミッデルハルニスの並木道』と同じなのだ。階級社会の縮図を見た気がする。
愛する時と死せる時 アングル『パオロとフランチェスカ』/シェーフェル『パオロとフランチェスカ』
薄暗い貴族の邸宅の一室。椅子に腰かけた若く美しい赤いドレスの女性、彼女の首筋に口づけする青いマントの美青年。
彼女の手から本が滑り落ちる。背後には壁掛けのタペストリーに隠れるように二人を見つめる醜い男性。
イタリアのラヴェンナとミニ。教皇派と皇帝派の関係修復のための政略結婚がおこなわれた。若くして嫁いだフランチェスカ、夫は醜貌、やがて美丈夫な夫の弟パオロと恋におちる。やがて夫の知るところとなり、現場を押さえられ、剣で二人を刺した。フランチェスカ25歳前後、パオロはその4、5歳年上だった。
当時の読書は黙読ではなく、音読だったそうだ。本は『アーサー王物語』、円卓の騎士ランスロットがアーサー王の妃グィネヴィアへの想いを抑えがたく、キスする件だ。意味深なことこのうえない。
ロココ式没落過程 ホガース『当世風結婚』Ⅰ~Ⅵ
『当世風結婚Ⅳ 化粧の間』
貴族の館、夫人の寝室とおぼしき部屋に集う人々と黒人の召使。壁には装飾のための絵画が何枚も飾ってあり、天蓋付きのベッド、化粧台、ソファなどがある。
イギリス ロココ時代の才人ホガースが描いた連作画は、全て自分でストーリーを考えたものだそう。映画に例えると、原作・脚本・監督・編集を行っているということになる。なるほど、これは才人だ!
主題は時事的な知識や教養を必要としないものを取り上げている。大量の版画も刷って安価で売り出し、大衆はこぞって買い求めたそうだ。日本の浮世絵と思えばいいのだろう。
人気すぎて不法な輩が無断で販売したので、著作権法を議会に通すことまでする。目端の利く頭のよい人物であり、誰でも鋭い風刺の対象にするほどのある意味、平等主義が魅力だったそう。現実に身近にいたら苦手な人物かもしれない。シニカルすぎて。
故国で行き倒れになるよりは ブラウン『イギリスの見納め』
寒風吹きつける冬の海、白い波が立つ中を船は進んでいく。若い夫婦が描かれていて二人とも張りつめた表情をしているが、夫は伏し目がち、妻は大きな美しい眼を見開いている。
イギリス ヴィクトリア朝時代の中産階級の若い夫婦が主人公。故国イギリスを離れて新天地へ向かうのだ。移民家族という新たな聖家族像を描いているのだという。
ここにも宗教的な意図が現れていて、こんな風にぱっと観て宗教画には観えない絵画にも、同様の手法が使われていることに驚く。まるで謎解きをするミステリーだ。
少年は森に消えた ウォーターハウス『ヒュラスとニンフ』
緑に染まった森、蓮の浮かぶ池。若くてとても美しい全裸の女性7人が池に入っている。青い服、赤いベルトを身に着けた少年のような男性を、彼女たちが池に引きずりこもうとしている。
美しいようですぐに怖い絵画だと気づく。美しい女性たちはみな同じ顔している。まるでクローン。そして無表情で男性を見つめ、腕に手をかける。怖い…。
このまま死んでもいいから彼女たちと一緒に池に沈もう。。と、思ってしまう男性は多いのでは?いかが?
この絵のモチーフはギリシャ神話のエピソードだそう。神話はどこの国でも怖いものが多いし、救いのないものも少なくない。抗えない現実の投影先に神話があるからなのだろう。
聖痕の瞬間 マックス『アンナ・カタリナ・エンメリヒ』/ジョット『聖フランチェスコ』
薄暗い部屋のベッドで白い服を着た修道女が、頭に包帯を巻いて苦悩している。両手は頭に、毛布の上のキリスト像をじっと見つめている。
描かれているのは19世紀ドイツ ヴェストファーレン人のアンナ・カタリナ・エンメリヒ。貧農に生まれ、読み書きもできず、12歳くらいから縫製工場で働かされた。やがてエンメリヒに幻視と聖痕が現れる。
聖痕(スティグマ)とは、磔刑の際にイエス・キリストが受けた傷と同じ場所に現れる痕のこと。以前にTVのバラエティ番組で観た記憶がある。真偽のほどは?だが。
画面奥のテーブル?の上にあるローソクは信仰の象徴だそう。ここにも絵画の決まりごとが出てくる。知らなければ気にもかけないだろう。寝室にローソクはあたりまえすぎて。
ヴェスヴィオ火山、大噴火 ブリューロフ『ポンペイ最後の日』/ショパン『ポンペイ最後の日』
画面を覆い尽くす黒煙、上がる火柱、逃げ惑う人々。白い建物は崩れかけ、人々の上から降ってきそうだ。
8世紀のイタリア ポンペイ、ヴェスヴィオ火山の噴火の様子が描かれている。ポンペイの発掘は現代にまで続いていて、神殿、邸宅、壁画などが残っている。世界中から画家が行き描くことになった。この絵はそのうちの一枚ということだ。
破滅に向かう中、それでも弱者を守ろうとする美しい愛が描かれている。この作品に触発されて小説や映画も作られたそうだ。それくらい人の心に訴えたのだろう。
感じるだけではわからない ルノワール『シャルパンティエ夫人と子どもたち』
シャルパンティエ夫人と子どもたちが豪華なしつらえの部屋でくつろいでいる。愛犬の大型犬も一緒に。
パリの新興ブルジョワジー、シャルパンティエ氏の夫人と子どもたちが描かれている。贅をこらした暮らしぶりが画面からもわかる。だが、それも長く続かず、シャルパンティエ家はじきに没落してしまい、残された二人の娘は両親のコレクションをほとんど競売にかけることとなる。売れない貧乏画家だったルノワールを見出したのがシャルパンティエだったのだが…。
一方、この絵を描いたルノワールは世界的大画家にまでなり、現在もその人気は衰えない。なんとも皮肉なものだ。
【余談】
ムンク展で購入した図録は今は手元にもうない。何回かの引っ越しでどうやら処分してしまったらしい…。気がついたときはショックだったな~。
【リンク】