天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある。(伝道者の書3章1節)
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。(2節)
「何事にも時期がある」という言葉は説得力があります。キリスト者でなくても伝道者の書のこの箇所には、うなずくのではないでしょうか。人生のカレンダーも、日常生活のカレンダーも、「時期」に従って決められていると言っても過言ではありません。年度や学年などの社会的ルールを別にしても、生まれてから死ぬまでは、決まった流れがあり成長の節目ともいうべき時期があります。ガーデニングや農業も、生物カレンダーに従った時があるのでしょう。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。(3節)
人間の死ぬ時、病気などが癒されるのにも時がある、つまり神によって決められているという意味だそうです。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
今の時代は、医術が進んで、ソロモンの時代なら死んでいた多くの病が克服されています。心肺停止からさえ蘇生できるのです。それでも、たしかに死は避けられないのですから、この言葉は生きているのでしょう。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。(4節)
「嘆く」は葬式、「踊る」は結婚式です。これらに時があるなら、そのために、「泣く」のも「ほほ笑む」のも、「時」に従うのです。
石を投げ捨てるのに時があり、
石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、
抱擁をやめるのに時がある。(5節)
これは、戦時を意味しているそうです。(同注解書)、「石を投げる」は、侵略した軍隊が敵の畑に石を投げこんで不毛にすること。石を集めるは、軍隊のが行進する道路を作るための行為です。とうぜん、平和時には抱擁をしあっていた間でも、戦争となると、抱擁を止めるのです。
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捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。(6節)
引き裂くのに時があり、
縫い合わせるのに時がある。(7節a)
「引き裂く」とは、悲しみのときに着物を引き裂く行為で、「縫い合わせる」とは悲しみが終わったことを意味するとか。(同注解書)
聖書も,背後の文化を知らないと理解できないと思うと同時に、裂いた衣は、けっきょく縫い合わせてもう一度着るらしいと、下世話な想像をするのです。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。(7節b)
これは、人間関係にともなう知恵ですね。
言うべきことも、時期が合わないと効果がなかったり、敵を作ったりします。また、それまでは伏せられていたことでも、明らかにしなければならない時があります。
愛するのに時があり、憎むのに時がある
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。(8節)
これらの対比は、たしかにその通りであり、深くうなずくのです。しかし、問題はその「時」を、私たちは、どのようにして知ることができるのかです。
すべての時は、必ずしも自分の予定通りにやってくるわけではありません。すべてを、定めておられる方がいるのです。
伝道者は、またしても虚無的な問いに戻ります。
働く者は労苦して何の益を得よう。
私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。(9節)