あるとき、サウルの父キシュの雌ろばがいなくなった。
そこでキシュ派、息子サウルに言った。「若い者をひとり連れて、雌ろばを捜しに行ってくれ。」
(Ⅰサムエル記9章3節)
そこでサウルは、使用人の若者とエフライム(彼らの居住地)の山地を雌ろばを捜しに出るのです。
あちこち歩き回っても見つからないので、サウルは若者に言うのです。
「もう、帰ろう。父が心配するといけないから」
すると、使用人の若者が言います。
「この町には神の人(預言者サムエル)がいます。」
サムエルは、その預言に力があり、すでに、さばき人としても
指導者としても、広くイスラエルにその名が知られている人でした。
若者はサムエルに会って、どうすべきか神の声を聴いてもらおうと提案したのです。
二人が神の人のいる町に入って行こうとしたとき、ちょうど
神に祈りをささげるために礼拝所に向かっているサムエルと行き会ったのです。
そのとき、神が預言者サムエルに語りかけたのです。
「この者がわたしの民を支配するのだ」(Ⅰサムエル記9章17節)
サウルが、初代のイスラエル王に選ばれた決定的瞬間でした。
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じつは、古代イスラエルには、当時、王はいませんでした。
イスラエルの建国と言えば、シナイ山でモーセが神から十戒をいただいて、神と契約を交わしたとき、
神聖政治国家イスラエルが誕生したのです。
普通、国と言えば、領土と国民と国家体制(法制)で成るものでしょうか。しかし、
この時のイスラエルは、法律と国民は存在しましたが、領土がなかったのです。
領土は、いずれ入植することになるカナンでした。
荒野の40年と言われる期間のあと、
神聖政治国家イスラエルは、なんとか、カナンに入ることができました。
しかし、聖書に見る限り、
それは強力な統一国家ではなくて、
シナイ契約を下さった同じ神をいただく「アブラハムの子孫たち」のゆるやかな連合体でした。
もともと入植した時点で、異邦人がまだたくさん残っていたうえ、
西にエジプト、地中海、北にシリヤ、
東にメソポタミヤに囲まれたイスラエルの地は、人の往来も激しく、しょっちゅう
外敵の脅威にさらされていました。
外敵に攻められたときの対抗方法は、勇敢な指導者(士師や預言者)をたのみにするのですが、
いわゆる武力の専門家や専門組織がないので、いつも苦戦していました。
サムエルは、卓越した預言者で指導者でしたから、その時代は敵を抑えることができましたが、
高齢になったサムエルに対して、民は、とうとう申し入れるのです。
「私たちにも、ほかの国と同じように、民の先頭に立って戦ってくれる王を下さい」(Ⅰサムエル記8章7節)
これは、サムエルの気に入りませんでした。イスラエルは建国以来神政政治国家だったのです。
神に代えて人間の王を立てるなど、あり得ないと、サムエルには思えたのです。
ところが、お伺いを立てると、意外にも、神は、
「民の声を聞き入れなさい」と仰せなのです。
そのようないきさつから、サムエルは、サウルを王として選ぶことになったのです。
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それにしても、どうして、
神は、
イスラエルで一番の美青年、だれよりも肩の上の分
長身だったサウルを、お選びになったのでしょう。
それは、神様の「お好み」だったのでしょうか。
それは、断然、そうではないと言えます。
それは、多分に、人がうわべを見る性質があるためです。
建国以来初めての王制、まだ、未知の体制のためにサウルは選ばれました。
とうぜん、民が従うかどうかは、大きな課題です。
ある意味、王はカリスマでなければなりません。
美貌は、
国家に、初めて登場する王として欠かせないと、神もお考えになったのではないでしょうか。
しかし、神は心をもご覧になるのです。
サウルの心はどうだったでしょう。
じつはサウルはとても「良い人」でした。
素直で、優しくて、シャイで・・・・。
しかし、それが、王としての彼をつまづかせるのです。