ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

2020年、はじめての、ZOOM、U-tube、チャット

2020年12月26日 | 歴史

 2020年もあとわずかになりました。皆さまにとってはどのような年だったでしょうか。多少とも、コロナという新しい感染症に脅かされたと思われない方はいないのではないでしょうか。

 さとうも、影響を受けなかったとは、到底言えません。3月以降は「引きこもりがち」でした。大きな理由は、自分がクラスターのもとにならないようにと思っていたからです。

 毎週のように集っていた教会も、集会の密を避けるため、ZOOM礼拝をはじめました。祈祷会(祈りと学びと交わりの会です)は、全部ZOOMで行われました。

 個人的なつながりは、電話やメール、ラインにとって代わりました。

 我が家で二週に一度行っていたささやかな祈りと学びの会も、全部キャンセルにしました。余るほどの時間ができたのですが、その割に聖書通読エッセイは、はかどりませんでした。本来の目的である、小説づくりはさらにおぼつかないありさまでした。

 代わりに増えたのが、街の散策です。ただ、バスに乗って、駅前の商店街に行きます。自分では、毎回目的を決めて買い物をし、歩くコースをも、変えてみて、変化をつけているつもりでしたが、きっと、ただ、徘徊しているだけのローバに見えたかもしれないですね。

 夏ごろには、短い期間に三度も転倒してしまいました。まだ、「大丈夫ですか」と尋ねられると、「恥かしい」自分がいました。若い時は、「あたし足が弱いみたい。わりとよくつまずくのよね」と、言い訳をして済んだのですが・・・。

 

  🌸 🌸

 新しい体験はたくさんありました。なんと言っても、ZOOM体験です。いろんな方がZOOMをはじめられたので、初めてZOOMを通してお話ができた方々とのひと時は、良い刺激ですね。

 時間がたっぷりあったので、U-tube動画をあれこれとめぐりました。

 実に、多くの方がU-tubeで発信しているのを見て、世界は「こんな風になっていたんだ」と浦島花子さん(やっぱり古い!!)気分でした。活字文化で育った身としては、悔しいけれど、音声と映像のU-tubeがもつ発信力には「勝てない」と思わされました。

 とくに、音楽がふんだんに聞けるぜいたくさも発見でした。なんと言ってもLPレコードでで育った世代ですから。世界の一流音楽から、演奏会でお金を払ってみるような演奏家から、初心者の練習風景まで楽しめるのは、驚きでした。

 おそるおそるU-tube生配信に潜り込みました。チャット機能で、ファンがどんどん発信者と交信し、またファン同士が交流しているのは驚くべき光景でした。そのスピードには到底ついて行けそうもないのですが、スパチャという「投げ銭」システムがあってファンが寄付できるのです。路傍での投げ銭よりよほど洗練されているというか、安全確実な方法だと思わされました。

 力があって、でも仕事がない音楽家の方などに、ファンがこのような形で「援助」できるシステムが、時代とともに生まれていたことに感謝ですね。

 

   🌸  🌸

 ネットの世界――サイバー空間については、昭和2期生まれのさとうにとっては、いまだ「あつものに手を伸ばすべき?」気分です。でも、仕方がないのです。

 だって、スマホもPCも追放できないではありませんか。

 でも、新しいプレゼントもたくさんあります。

 昨夜はシンガポールにある「日本語教会のクリスマス礼拝」に参加させていただきました。チャットにも参加しましたよ。

 

下のURLをクリックしてください

牧師招聘 | シンガポール日本語キリスト教会 (sjcf.org.sg)

【X'mas】今さら聞けないクリスマスの真実!|実はキリストの誕生日ではない|X’の意味|サンタの由来 - YouTube

 

 

 


セックスをどう見る? 今と半世紀前

2020年08月14日 | 歴史

クリスチャンの女の子たちがセックスについて語っていたU-tube。

  • 聖書をよく読んでいて、まじめに神様のみこころに添って考えている彼女たちの明るさが印象的だった。
  • この時代の性モラルがどんなものか、ほんとは私も知らないのだけれど、
  • 半世紀前よりは、風通しが良いのは事実みたいですね。
  • 半世紀前の由緒正しい伝統高校に通う女の子たちは、結構縛られていた!!

 

 

純潔と 生徒手帳に書いてあり 「純潔」深く迫ったあの春

キスなどと チラッといってもにらまれる ツタの絡まる暗い校舎で

相合傘書いた二人をつるし上げ ハイミスの教師 今も思い出

妊娠事件 「名門高校」揺るがした 今頃聞くなんて くやしいような(卒業後30年目)

女高師を出た先生と較べられ、暗い廊下をうつ向いて歩く

トラピスト行きたい ため息ついた友 なぜだか不潔に思ったけれど

 

「母親が嫁ぐ娘に教えること」 母の読んだ「主婦の友」読むコ

その日まで許してはならぬと評論家 いろいろ教えてくれた女性誌

過去打ち明ける 打ち明けない? ほんとにあんな相談あったの  

初夜だとか、新婚時代てわかるかな できちゃった婚当たり前の娘(こ)たち

同棲と言って注目浴びた頃 今じゃただの普通名詞

                   (10年ほど前に書いたものばかりです。)

 

 結局、だれが発した命令なのかが、問題なのですね。

 

 

 

 

 

 

 


戦場のピアニスト

2020年06月09日 | 歴史
2014年10月11日 の記事より


 いつもなら眠りに落ちている時間に、深夜映画を観てしまった。

     「戦場のピアニスト」

 2002年劇場公開された頃に観ています。
 題材もストーリーも、とても重苦しい戦争映画なのに、
 心の奥に、どこかリリックな影を刻印するような感動があった。
 と、記憶しているのだけれど、細かな筋書きはほとんで忘れていた。

 第二次世界大戦で、ヨーロッパ戦線ということになれば
 まず、ナチスの偏執狂的な悪を外すことはできないでしょう。とりわけ、
 ユダヤ人撲滅作戦としか言いようがないユダヤ人に対する迫害は、
 目をおおうばかりのものだったのです。そして、
 この映画も、ピアニストであって、社会的には非力と見えるような
 一人のユダヤ人青年が、ナチスのユダヤ人狩り、ゲットー、ガス室へと続く果てのない弾圧の中で、かろうじて逃れ、隠れ、生きる話です。

              ◎  ◎  ◎


 これは、実在したユダヤ系ポーランド人・ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記を脚色して、映画化したものだそうです。
 といっても、ピアニストとしての活動はほとんど出てきません。
 逃げ回る彼が夜、まどろむとき、手の指がピアノのキーをたたくかのように、動くだけです。

 空襲で破壊された廃墟で隠れ住む彼も、最後には、ナチの将校に見つかり、あわや・・・という瀬戸際で、
 ピアニストであったために窮地を逃れるのです。

 彼を見つけたナチの将校は、彼がピアニストであるかどうか
 確かめるために、廃墟にあったピアノを弾かせるのです。

 その素晴らしい演奏に、将校はくぎ付けになり、彼を生かし、食糧まで届けてくれるようになるのです

            ◎  ◎  ◎

 身分証明書(アイデンティフィケイション)という言葉が何度か出てきます。

 もとより、逃亡中のシュピルマンに、そのような証明書はありません。
 けれども、ピアノを弾くことで彼は自分のアイデンティティを証ししたのです。
 これは、身分証明というものが何であるかを、言い表していると思いました。

 私たちは、身分証明書――政府や会社やどこかの権威ある団体が
 客観的に自分の存在を保障してくれるものを渇望するのですが、
 権威のあるだれかが発行する「紙切れ」ではない自分。
 自分は、「これだ」と言えるものなど、私にはあるのかしらと考えさせられる
 クライマックスでありました。


 それにしても、旧約聖書の記録の中で(旧約聖書・列王記。歴代誌)、
 すでに、捕囚として民族離散の憂き目にあい、
 その後、ペルシャ、ギリシア、ローマなど、大国の植民地でありながらも
 なんとか、ユダヤを国家として存続させていたユダヤ人。

 紀元七四年のユダヤ戦争で、ローマ帝国に完全に敗北し、エルサレム神殿も破壊され、以降、
 第二次大戦終了後の現イスラエル共和国の成立まで、国家がなかった国民なのです。

 国(領土と政府)を失い、国民が散り散りになって一九〇〇年間もアイデンティティを保つとは、本当にすごいとしか言いようがありません。



       


ZOOM体験

2020年06月05日 | 歴史

 4月から教会の礼拝会がZOOMになった。  知事さんたちがオンライン会議をしたり、学校がオンライン授業をしているのは、どうやらこのシスいたのですしテムらしいと、おっかなびっくりで参加したのです。 
 当日の朝、このURLにつないでくださいと、メールをもらっても半信半疑。URLをクリックしてつないでみたのは、ただ「好奇心と信徒としての義務感」。なんといっても、教会での日曜礼拝は、私のカレンダーに刷り込まれているのです。
 ふつう、日曜の朝は教会堂に行き、賛美(歌)を歌い、教会の報告を聞き、みんなと握手をし、牧師の説教を聞く。終わるなり、そそくさと帰宅を急ぐときあり、仲間とランチに出かけるときあり、スーパーで買い出しすることもあり、etc・・・。  

 初回は、音声に途切れがあったり、カメラワークがいまいちだったり、あまり厳粛な雰囲気が伝わってこないなあと、「おっかなびっくり」評論家をやったりしていました。実際につないだ人も、礼拝堂礼拝に比べて半分以下。高齢の人たちは、スマホをもっていてもなかなか、クリックのハードルが高そうです。 
 でも、二回目以降は、まずまずの礼拝会でした。奇妙なのは、牧師とスタッフたちは礼拝堂にいるのに、自分は家にいるという事実です。PCの前で、Coffee をわきに、たった今までネットを見たりしていたのです。
  急いで髪にくしを入れ、そそくさとメイクなんかしてみるけれど、あまり変わり映えもしなくて、やがて、「なんと楽々なこと!」と気が付いたのです。参加者は、出席者の名は出るけれど、顔は出さなくていい! 

   ★★★★  

 二週間ほど前から、ZOOM祈祷会も、もつことになりました。  祈祷会という言葉は、ちょっと教会用語ですね。とはいえ、「顔合わせ祈り会」と言い換えても、わからないかもしれません。 クリスチャンはいつも祈っているのですが、その祈りをみんなで集まって行う会です。

 聖書には、「二人でも三人でも、わたしの名で集まって祈るところには、わたしもそこにいる」という神のお約束が書かれています。一人でいても、神様はいつもともにいて下さるのですが、何しろ「愛の神様」ですから、人との交わり、信徒同士のまじわりをご覧になって、お喜びになるのです。

 というわけで、祈祷会なのです。「オンラインで、交わりといえるのか」という向きもあるかもしれませんが、コロナに降参するわけにはいかないのです。
 これは、いわゆるオンライン会議方式です。出席者全員の顔が画面に出て、発言は双方向で、発言するたびに、発言者の顔には枠がかかる。なかなかエキサイティングです。

 結論、ZOOMの会合はなかなか良いものでした。
 私にとっては歴史の一ページといえるほどの体験でした。
 実は、どこかの国にスパイされているのだというような説もあるのですが、秘密にしなければならないようなことは何もない向きには、上々ですね。

 ZOOMの契約はだれでも簡単にできそう(主催者有料)ですから、趣味の会や、お茶会もできそうですね。

 まずは、コロナの終息を祈りつつ・・