昭和33年です。何月何日とは覚えていないのです。秋が深かったような気がします。
私は有馬街道が神戸の街に入っていく入り口のあたりに、わざわざ出ていました。
前夜、皇太子殿下が有馬温泉にお泊りになり、午後のその時刻に、その道をお通りになるとのこと。
誰かが教えてくれて、学校帰りになんとなく出かけたのです。
山と川に挟まれた両側一車線の道路は、ところどころ、出迎えの人が立っていました。、
いまのようにテレビも普及していなかったので、知らない方も多かったのかもしれません。
中学生だった私は、雲の上、あるい童話の中の王子様にお目にかかるような気分で、
胸をときめかせていたような気がします。
間もなく、白バイに先導された黒塗りの車が近づいてきました。
ほかにどんな車がいたのか、記憶にはありません。
あっという間に、目の前を通り過ぎる車の窓に、雑誌か何かで見覚えのあるお顔がありました。
私は息をのみました。
あまりに色白のお方でした。博多人形の陶器の顔のようにつるつるに見えました。
しみひとつもない、そのようなきれいな顔を、それまで見たことがありませんでした。
♔
一週間後か、一か月後か、よく覚えていません。
新聞に、ご婚約が発表されました。
新聞の第一面に大きく出された、「正田美智子さん」の写真に息をのみました。
未来の皇太子妃は、やっぱり、それまで見たこともないような美しさでした。
とうてい、現実の世界のお話には思えませんでした。
心の奥のどこかで、ちくりと刺されるような感じがありました。
いま考えると、笑ってしまうのですが、
思春期の乙女心が、自分の身の上と
雲の上の王子様お姫様とを、比べていたらしいのです。
翌年の四月十日、ご成婚式の日は、臨時の国民の祝日になりました。
壮麗な馬車のパレードを、テレビで見ていました。
ものすごい数の群衆が、歓声を送っていました。
生まれて初めて見た「祝賀」の光景でした。
やっぱり、夢の世界だと思いました。
もちろん、もう、「ちくり」はありませんでした。
※上皇陛下と美智子さまのご結婚の時の思い出の断片です。