ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

四日目

2018年01月04日 | 自然





          初春の 青空あおぐ 枯れ桜
 
          そろそろと すり足のふり 春四日

          枝のばし 日差しをつかむ 枯れもみじ










快晴

2017年12月26日 | 自然


      日課の聖書通読エッセイに四苦八苦して、
      ふと顔をあげ、窓の外を見ると、
      快晴の空


      ああ、今年もあと一週間足らず、
      あっという間の、一年だった
      
      一身上には、何事もなかった一年。
      初めて、風邪をひかなかったし
      知り合いの訃報もきかなかった。
      
      やり残したことはいっぱいあって、
      いろんなものを、無理やり引出しに押し込んで、何食わぬ顔で、
      胸をなでおろしている。

      青空を見上げて、それだけで、
      すっかり、のんびりして、
      いつまでも、椅子に沈み込んで、
      このまま、このまま・・・
      と、思いにふけって、
      ありがとうございますと、つぶやく。
      真昼



       

      
      
      

      

夜の来訪者

2016年10月22日 | 自然



     夜、パソコンに向かっている時間――
     ふいに、紙を擦るような音がするので、

     目を上げてみると、なんと本棚に
     カマキリが止まっています。

     私は比較的昆虫にやさしいつもりですが、
     カマキリだけは、どうも苦手です。
     羽を開いて、カマを持ち上げて立ち上がりそうな姿はこわいし、

     多分、それ以上に、子どものとき見たカマキリの死骸が目に焼き付いているのでしょう。
     人に踏まれたか、自転車にひかれたか、大きなカマキリの腹のなかから黒い線虫が這い出していた。

     本棚に止ったカマキリははるかに小ぶりで、
     おまけに元気がなかった。
     カメラを向けても、カマを持ち上げるようすもない。


      ピンボケ写真ですみません。何枚かとったのにみなピンボケです。やっぱり手がふるえていた?!


      でも、秋の夜長をいっしょに過ごす相手としては最悪です。

      子供の頃はひょいと指でつかめたのに、あれこれ思いをめぐらせ、
      ようやく菓子の空き袋に追いやって、ベランダに放しました。








      

     

青い空、青い海

2016年08月31日 | 自然



      子ども時代、いつまでも見飽きないものがありました。


       青い空、
      青い海、


      九歳まで、海が目の前の場所に住んでいた。
      山陽電車と国鉄(JR)がぴったり並んで走っていて、
      その向こうは、国道で、
      その先は、白い砂浜だった。

            

      大きな青い空と青い海が豊かに広がっている光景の中で、何時間も座っていた・・・。

      それは、追憶の中で拡大された夢?

      「あの空の向こうになにがあるんだろう」
       目を凝らすと、もう外せないような、蠱惑的な深みに、
       でも、たしかに、時を忘れたのです。

          

      海は、はるかに実際的で、小さなぽんぽん船が浮かび、
      遠くに大きな船が現れ、

      淡路島と大阪湾で包まれた、大きなたらいは、
      腕に抱けるような気がした。

         

      この海の向こうと空の果ては、
      どこかでつながっているにちがいない、
      そんなささやきが、ひらひらと頭の上を舞って、
      でも、

      その青空と青い海とに背を向けて、陸地を歩き始めて、
      長い歳月が経った・・・。


            ときどき、はっと振り返る


      
      青い空、
      青い海

      あれから、空のかなたにも、海の向こうにも、何度か行ったのに、
      やっぱり、ふりかえる。
      いつまでも、見つめている。

      あの向こうに、なにがあるのかしら。







      

            

      

台風のとき

2016年08月30日 | 自然



      台風情報は、子供の頃からあった。
      関西は、台風の通り道であったから、
      梅雨が終わって炎暑の夏が終わるころには、
      かならず、一度や二度台風が襲来する。

        

      台風が来るかどうかは、学校が休みになるかどうかなので、
      子どもたちは、何日も前から、生き生きと話題にした。

      インターネットはもちろん、電話さえすべての家にあるわけではないので、
      ちょうど、朝に襲来してくる台風に合わせて学校を休むべきかどうかは、
      学校に行ってみなければわからない。

      まあ、台風のピークはたいてい二時間もすれば通り過ぎるので、空模様を見ながら、
      行くべきか、止めるべきか、親と議論するこの朝もいつになく楽しかった。
      のんきな子供時代?、世の中全体がゆるゆるだった?

        ★★


      台風が午後から来るくらいのときは、学校に行った。
      学校で、授業打ち切りの発表があって、

      「皆さん。気を付けて帰ってください」と校内放送があったりする。
       屋根瓦が飛んでくるから、電柱が倒れてくるかもしれないから、
       マンホールがあふれるから、「気を付けて帰るように」と、
       同じ方向のものがグループを組まされて、並んで帰った。

       日ごろは嫌味な男の子でも、
       腕力のありそうな子は、そんなときなんとなく気負っていて、
       「俺のあとをついてこい」なんて言ってくれる。

       低学年の子なんか、「お姉さん。お兄さん」と頼ってくれる。
       それも案外、楽しかった。――のんき――

       だけど・・・すでに雨で陥没している道路があり、石垣が崩れていて、

       家に帰ったものの、瞬間風速60mかと思える時は、家が揺れた。

       雨戸を閉め、子どもは学用品を、親は貴重品を背負い、
       家の真ん中あたりにひとかたまりになっていた。

       いつもは外につながれている犬も玄関のたたきで、猫はおびえた目で窓際にいて、
       でも、二時間ほどたつと、たしかに風の音がおさまってくる。
       
       「あー、やっと行ったみたいね。ホンマ、戦争中の空襲みたい」
        母は、かならず、台風直撃と空襲とを結びつける。


        数年後には避難所になった小学校から、避難指示が出たその地域に、わざわざ帰っていて、
        けっこうみんな無事だったのは、不思議としか言いようがありませんね。

        ほんと、生きてきたのではなく、生かされてきたのですね。