殺傷事件を起こした犯人を弁護するつもりはありませんが、
介護のしくみについては、たしかに、残酷な現実があるような気がします。
それは、介護のスキルも知識も経験も十分でないものが、
一番熟練の必要な介護の場面の、最前線に置かれているということです。
たとえば、排せつの世話、例えば、食事の世話、
うまく自己主張できない人が暴れたりわめいたりするのをなだめること。
どんなに冷静でも、愛があっても、体力があっても、これらの場面を上手に処理するためには、
相当の熟練と、人間的成熟が必要だと思います。
だれでも、はじめは、動てんし、途方に暮れるような場面がたくさんあるのです。
そのような熟練の人が対処すべき場面に
何故か、福祉の現場では、
いわば、アルバイト、臨時職員のような人が当てられるのです。
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いったい、医師が看護師より楽な仕事をしている医療現場などあるでしょうか。
仕事の量の問題ではありません。責任の重さです。
医師は看護師よりはるかに長く学び、多くの訓練を経て、患者の治療の最終的な責任を負って
治療をしています。
難しい手術現場で、沢山の医師がかかわる手術でさえ、
一番急所でメスを振るうのは、スペシャリストの医師です。
シェフが、見習いコックより責任のない仕事をしているでしょうか。最後の味つけをし、盛り付けをし、
もし、客からクレームが来たらその責任を持つのは、シェフでしょう。
同じようにろくろを回していても、高価な器をつくることができるのは熟練の陶工です。
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福祉の現場では、「上の人」は、ただの管理者だったり、
事務処理者だったりすることが多いのです。
汚物に触れることも、噛みつかれることもなく、
暴れたという報告だけ聞き、記録し、
さも、自分たちの働きのように、どこかさらに「上の機関」に報告します。
あるいは、握りつぶします。
一番重度の障害者には、一番ベテランの介護者がつくべきでしょう。
一番ベテランの介護者は、なんらの等級づけをして、
したがって報酬も高く、栄誉も与えられなければならないでしょう。
そのような熟練者へのチェックシステムと報酬制度がなく、安い賃金で、
使う側の都合だけの待遇で雇った臨時職員とかパートと言われる人に、
一番過酷な仕事をおしつけていたら、
介護者は育たず、少なくとも、生涯の仕事になるはずもなく、
それでは、福祉を受ける障害者のためにも、
障害者も幸せに暮らしてほしいと願う国民の期待にも
答えられないと思います。
たんに、介護要員の時給を上げるかどうかの問題ではないと思います。
生涯、介護を仕事にできるような待遇はもちろんですが、彼らのうちに日々、
蓄えられていくスキルを評価し、ほかの人にそれを伝えるシステムを整え、
プライドと連帯感を持てる仕事にすることが必要だと思います。
被介護者を見下したり、虐待したりする人が出てくるその理由の一端に、
少なくとも、
努力と労力に見合う「尊敬」がはらわれていないことが、挙げられるのではないでしょうか。