ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

悲しみは駆け足でやって来る 浜田 朱里

2017年11月08日 | 思い出





    悲しみは駆け足でやって来る 浜田 朱里
   




      若いとき特有の気持ちがうたわれている曲を、思い出しました。

            楽しいこともいっぱいあったのにね!
             と、不思議がっている、今のわたしです。










自殺サイト3――神を恐れることは知識の初めである。

2017年11月05日 | 聖書


    主(しゅ=神)を恐れることは、知識の初めである。(旧約聖書・箴言1章7節)



    自殺サイト問題を見ていて、不思議なのは、
    「死にたい」というような深刻なことばが
    見知らぬ不特定の相手に向かって発信されていることです。

    ふつう、道端で、いきなり知らない人に「私、死にたいんです」なんて言わないでしょう。
    役所の窓口や交番で、「私、死にたいんです」という人が現れたら、どのように対処するのでしょう。

    それは、ある意味爆弾発言です。問題が深刻――取扱注意――です。
    小箱を受付カウンターに置いた女性が、「これ爆弾です!」と言うようなものです。
    役所のカウンターや派出所では、それなりの対処マニュアルがあるかもしれませんが、
    知らない人から知らない人に、「死にたい」と言われると、ぎょっとしますね。

      ★★

    例えば、身体だったら、衣服を着ていて、脱ぐには順序があり、
    特定の関係でなければ「脱がない」ものもあるわけです。
    下着姿で公共の場に立ったとして、違法でなかったとしても、「困ったサン」だと思われるでしょう。
    大多数の人は、ふつうは、無事に日を送りたいので、「困ったサン」と出会うのは望んでいません。
    なんの因果か、出会いがしらに衝突しそうになったり、子供がバスで騒いでいたり、
    満員電車で、ずぶ濡れの大きなリュックと、化粧したばかりのほっぺたが
    「べったり」くっつくこともあります。 

    いやになれなれしく話しかけてこられたり、あとをつけられたりしたら、
    相手が、だれであっても、警戒します。 
    
     ★★

    人には、距離感というセンサーがありますから、公道で、下半身露出などというのは
    とうぜん、「警戒レベル5」で反応します。
    同様に、心理的にも、あまりにも、秘密の部分を見せられると、戸惑います。

    「ギョッとさせて人目を引く」意味では、心の奥の奥を露出するのは、
    効果があるのかもしれません。
    ただし、それは、本来、「ギョッとさせて注意を引き合う親しさ」が前提です。

    誰かが、聞いてくれればいいと、ネットで知らない人に「死にたい」というとき、
    すでに、彼(彼女)たちは、バーチャルリアリティ(仮想現実]の中にいるのでしょう。
    ただ、誰かとなれ合いの「死にたい」会話を楽しんでいるだけ、
おっかなびっくりしながら、
    初めは、そう思っていただけかもしれません。

     ★★


    座間殺人事件で取り調べを受けているS容疑者は、9人とも「死にたがってはいなかった」
    「自分も死ぬ気はなかった」と供述しているとか。

     同じように、バーチャルな世界を体験しながら、片方は、
     ふと、「寂しさを埋めてくれる」リアルな愛を期待し、
     もう一方は、リアルな殺人、強盗、レイプをもくろんでいたらしい。


     合掌

     







 

自殺サイト2

2017年11月02日 | 


     ネットで自殺願望者と知り合い、彼らを釣り上げるようにして自分に引きつけ、
     あらかじめ計画した場所で、計画したように、殺害したらしいというニュースに
     ショックを受けた人は多いと思います。

     じっさい、この地上には、どんな出来事が起きても不思議ではないのは、
     歴史をちょっと調べただけでも、知ることができますが、

     一見平和なこの日本で、わずかな騒音にも、ていねいなサ―ビスにも、
     目に見えないウイルスの可能性にも、
     細心の注意を払って、しずしずと生きている市民が多いこの日本で、
     「こんなことが、あるの!!」と、さとうも驚いているのです。


     ネットは、私にとって全く新しいツールです。
     クリック一つで情報やメールが何千人にでも拡散できるなんて、
     アナログ世代には、まだ、信じられないのですが、私も一応SNSも使っていますし、
     このようにブログも利用しています。しかし、ネットで世界に知人ができるということは、
     「愛ある関係が増えることではない」のは、自明です。
     ですから、
     どれほど、ネット上での知り合いが増えても、自分の書き込みに「いいね」が増えても、
     本当の慰めや癒しにはなりません。

     「死にたいのです」と投稿する人たちの寂しさの多くはほんとうなのでしょう。
     そして、「僕もです」「私もです」と共感の投稿を読んで、それ自体は、慰められるのかもしれない。
     けれど、それが永続性のあるものかどうか、本人が一番よくわかっているのでしょう。

     本当に風を避けたい時は、ビニールシートだって、ないよりあったほうが楽になります。
     のどが渇いて死にそうなときは、ミネラルウォーターにこだわってはいられないでしょう。
     ネットで寂しさを訴えて、癒しを求めて、仮に誠実な人から返信をもらっても、
     じっさいに知り合って、付き合って、結婚して、家族もできて・・・
     それでも、「孤独」だと気がつく日が来るかもしれません。


       ★ ★★


     ネットでの知り合いは、楽な関係です。自己紹介も名前も、嘘でもかまわないのです。
     性別や年齢のような事実さえ、だませるかもしれません。
     住所や出身地や、勤め先や、学歴や、家族関係、財産も明かす必要がありません。
     自分をうまくカモフラージュできるように、相手の「事実」も、カモフラージュされているわけです。

     相手が、幽霊か、獣か、狼か、あるいはただの幻である可能性は、あるのです。

     「行きずりの知り合い」と言うことばは、昔からありました。
     酒場や街路で、出会った相手と、いっしょにお酒を飲むとか、ときには、一夜を共にする・・・、
     そのような危うい出会いは、人の暗い部分をふるい立たせるロマンがあるのです。

     しかし、それが夢であり幻想であることを、ふつうはみんな「知っている」のです。

       ★★


     ネットでの出会いが、三文小説の「行きずりの出会い」と
     どれほども変わらない、かもしれないのです。
     少なくとも吟味してみる価値は、あるのではないでしょうか。

     犯罪をそそのかす悪魔は、どこにでもいます。
     年配者には、手を替え品を変えて、「振り込め詐欺」が生まれているように、
     ある意味、悪に免疫のない若いナイーブなたましいから、だまし取る者がいると思います。

     わずかなお金ならともかく、いのちまで奪われてはおしまいです。
     いのちを下さった神様、お父さんお母さん、育ててくれた社会や学校や、先生や友人の悲しみを、
     想像してみてください。     、

     
     


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      明日(金曜日)の午後5時から来週月曜日の午後4時まで、
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      ネットで知り合った「怪しげな自殺請負人」から、間一髪で逃れることができた女性の話しです。
      読んでいただけると感謝です。
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