主(しゅ=神)を恐れることは、知識の初めである。(旧約聖書・箴言1章7節)
自殺サイト問題を見ていて、不思議なのは、
「死にたい」というような深刻なことばが、
見知らぬ不特定の相手に向かって発信されていることです。
ふつう、道端で、いきなり知らない人に「私、死にたいんです」なんて言わないでしょう。
役所の窓口や交番で、「私、死にたいんです」という人が現れたら、どのように対処するのでしょう。
それは、ある意味爆弾発言です。問題が深刻――取扱注意――です。
小箱を受付カウンターに置いた女性が、「これ爆弾です!」と言うようなものです。
役所のカウンターや派出所では、それなりの対処マニュアルがあるかもしれませんが、
知らない人から知らない人に、「死にたい」と言われると、ぎょっとしますね。
★★
例えば、身体だったら、衣服を着ていて、脱ぐには順序があり、
特定の関係でなければ「脱がない」ものもあるわけです。
下着姿で公共の場に立ったとして、違法でなかったとしても、「困ったサン」だと思われるでしょう。
大多数の人は、ふつうは、無事に日を送りたいので、「困ったサン」と出会うのは望んでいません。
なんの因果か、出会いがしらに衝突しそうになったり、子供がバスで騒いでいたり、
満員電車で、ずぶ濡れの大きなリュックと、化粧したばかりのほっぺたが
「べったり」くっつくこともあります。
いやになれなれしく話しかけてこられたり、あとをつけられたりしたら、
相手が、だれであっても、警戒します。
★★
人には、距離感というセンサーがありますから、公道で、下半身露出などというのは
とうぜん、「警戒レベル5」で反応します。
同様に、心理的にも、あまりにも、秘密の部分を見せられると、戸惑います。
「ギョッとさせて人目を引く」意味では、心の奥の奥を露出するのは、
効果があるのかもしれません。
ただし、それは、本来、「ギョッとさせて注意を引き合う親しさ」が前提です。
誰かが、聞いてくれればいいと、ネットで知らない人に「死にたい」というとき、
すでに、彼(彼女)たちは、バーチャルリアリティ(仮想現実]の中にいるのでしょう。
ただ、誰かとなれ合いの「死にたい」会話を楽しんでいるだけ、おっかなびっくりしながら、
初めは、そう思っていただけかもしれません。
★★
座間殺人事件で取り調べを受けているS容疑者は、9人とも「死にたがってはいなかった」
「自分も死ぬ気はなかった」と供述しているとか。
同じように、バーチャルな世界を体験しながら、片方は、
ふと、「寂しさを埋めてくれる」リアルな愛を期待し、
もう一方は、リアルな殺人、強盗、レイプをもくろんでいたらしい。
合掌