おでかけ大好き!ピースくん

ぼくピースくんが色んな所に遊びに行った写真を発表しま~す!

天幕城跡(2024年4月)

2024年04月14日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちはこんちゃんです😊
ピース氏が訪れた「赤堀磯沼公園」の案内図に「天幕城跡」と書かれた場所がありました😌
ここにはかつてお城があったのですね😃
城跡があると知ったからにはめぐらないわけにはまいりません😌
奥に見える林の辺りが城跡のようです😊
行ってみましょう❗

北側入口に「天幕城跡」の標柱がありました😊
ここがかつてお城だった場所なんですね😌
それでは、突然ですが始めましょう😃
第139回こんちゃんのお城めぐり「天幕城跡」です😊
奥に見えている説明板によると、天幕城は、那波氏、桐生氏の城となり、ある時は由良氏に攻略されるなど、戦国時代の動乱期の経た後、天正18年、後北条氏滅亡と共に廃城となったそうです😌

入口から入ってすぐの場所は、二の丸みたいです😊
天幕城跡は、南北400m、東西120mの自然地形を利用した城で、西側は蕨沢川が流れ、北と東側は蕨沢川の旧河道の低地で城外と距てられているそうです😌

本丸の北、西面には、今も高さ4m程の土居を残していると説明板に書かれていました😌
これがその本丸北側の土居ですね😊
素晴らしい遺構が残っていました😃

本丸から北側の土居を眺めています😌

こちらは西側の土居です😊

土居に登って周りを眺めてみましょう😊
ワタシに付いてきて下さい❗
タッタッタッ🐾

きちんと遺構が残っています😊

本丸を中心とした部分に、腰曲輪、水の手曲輪、堀切り、矢払い等の軍事的な構造が顕著に見られる並郭城なんだそうです😌
本丸西側の土居の向こうに、それらの遺構があったみたいです😊

戦国時代の赤城南麓諸城の特徴をよく現し、かつ、その姿を留めているそうです😊
思いがけずお城めぐりをすることが出来て、とてもうれしかったです😃
では、在りし日のお城の姿を思い浮かべながらお別れしたいと思います…😌

…こんちゃんでした😌

箕輪城跡・3(2024年3月)

2024年03月25日 | こんちゃんのお城めぐり
こんちゃんです😊
箕輪城跡のお城めぐりを続けます😃
本丸の一画に工事中で、立ち入り禁止の場所がありました😊
ここが、「蔵屋敷」につながる木橋へ出る、本丸西虎口みたいです😌
幅2.94m、奥行1.54mの門跡を確認しているそうです😊
礎石は全部で4石あり、その配置から1階建ての高麗門と推測されているようです😌

土塁に上がると、木橋が見えました😊
本丸に入る3か所の虎口のうち、唯一木橋を渡って入る虎口だったそうです😌

土塁の上を歩いて本丸の北側へ来ました😊
本丸と御前曲輪の間にある空堀です😊

本丸北虎口を出て、北側に「御前曲輪」があります😌

本丸を巡る空堀に下りてゆく遊歩道が整備されているようなので、まずそちらへ行ってみることにしました😃

本丸北側の空堀から斜面を下りて、西側の空堀へ歩いてきました😊
木橋を下から見上げています😃

反対側へ回ると段々になっているところに石垣がありました😊
遺構でしょうか😌

本丸の空堀から、三の丸へ上がる遊歩道を歩いて、蔵屋敷に着きました😊

蔵屋敷側からは、木橋の途中まで行けるみたいです😃

木橋の上から、先程歩いていた空堀を眺めました😊
深いですねぇ😌
調査によると、当時の堀は現況のおよそ2倍程度の深さがあったそうですよ😲
びっくりしちゃいますね😃

蔵屋敷から先は、行けなかったので、本丸堀底に戻って来ました😌
今度は、御前曲輪の西側の堀底を歩いて、稲荷曲輪方面へ歩いて行きました😊

ここにも石垣が残っていました😃
「御前曲輪西堀の石垣」です😌

御前曲輪北堀から霊置山の下を歩いて、北側をぐるりと回ってきました😌

「新曲輪」です😊
平城部にあった曲輪ですね😌

「稲荷曲輪」は新曲輪の南、御前曲輪の東側にある曲輪です😊

稲荷曲輪を抜けて、堀底の遊歩道から御前曲輪へ上がって来ました😊

御前曲輪にも「史跡 箕輪城跡」の石碑がありました😊
こちらの石碑はとても新しかったです😃
平成30年に追加指定されたことを記念して作られたみたいです😌

最後に、本丸と二の丸の間にある本丸南堀を眺めました😊
名残惜しいですが、以上で今回のお城めぐりを終わりにしようと思います😌

箕輪城跡は、堀の規模と虎口周囲の残りのよさが特徴であり、そうした特徴をいかした史跡の環境整備・遺構整備を平成23年度から実施しているそうです😌
今回のお城めぐりが、とてもめぐりやすかったのは、そのおかげなんですね😊
遺構の残し方も、見せ方も、とてもよかったです😃
それではまた、次回のお城めぐりでお会いしましょう😌
こんちゃんがお送りしました😊

箕輪城跡・2(2024年3月)

2024年03月22日 | こんちゃんのお城めぐり
引き続き、こんちゃんです😊
国指定史跡「箕輪城跡」をめぐっています😌
箕輪城跡は榛名山の東南麓に広がる独立丘陵上の中心部に位置するそうです😊
城の西側を流れる榛名白川や城の南側に存在した椿名沼と呼ばれる湿地帯など自然の地形を巧みに利用した構造になっていたようです😌
城内で標高の最も高い280mほどの、霊置山から御前曲輪、本丸、二の丸、郭馬出という尾根上の曲輪を城の中心軸として、線対称的に多くの曲輪を丘陵上に配している他、新曲輪、内宿などの平城部を1部含んだ平山城なんだそうです😊
城域面積約36haと、戦国時代の上野国において屈指の規模を誇る城郭だったそうですよ😃

前回は、「大手虎韜門」まで来ましたね😌
今回は、虎韜門駐車場の道路を挟んで向かいにあった、「白川口埋門」の石碑の前から、お城めぐりを再開します😊
「白川口埋門」は、虎韜門から白川河原に出る秘密の通路で、西部城外への道はここ唯一つであったそうです😌

「大手虎韜門」から、現在は住宅街になっている「内宿」と呼ばれる平城部を歩いて、「大手門」まで来ました😊
遺構は残っていないようでしたが、「大手門」の石碑と説明板が設置されていました😌
こちらが、お城の大手口だったのですね😃

再び、大手虎韜門口に戻って来ました😊
次は、鍛冶曲輪、三の丸、二の丸を通って、本丸を目指します😃

丘陵部を登りはじめるとすぐ、鍛冶曲輪の石垣がありました😃
箕輪城の石垣は、河原石を用いた野面積みで、城内では石が取れないため、城のすぐ西を流れる榛名白川から運び上げたらしいです😌
すてきな石垣が残っていました😃

石垣の横を登って行くと、鍛冶曲輪になります😊

また少し登ると、石垣がありました😃
このように見えている石垣の他にも、発掘調査をすると、多くの場所で、埋まっていた石垣が発見され、城の主要部のかなりの場所で、石垣が使われていたと考えられているそうです😌

こちらは、三の丸門跡と石垣です😊
どのような門が建っていたのでしょう😌

こちらの石垣の残り方も趣があって素敵です😊

「三の丸」です😊
北へ行くと「蔵屋敷」で、そこから木橋で「本丸」と行き来出来るようになっています😌
しかし現在は、本丸側の「本丸西虎口」が通行止めになっているそうです😊

今回は南側から、「二の丸」へ向かいました😊

こちらが「二の丸」です😌

「二の丸」側から見た、「大堀切」と「郭馬出」です😊

ここ「二の丸」で、一旦休憩し、みなさんとお弁当をいただきました😊

お昼休みの後は、「二の丸」から「本丸」へ向かいました😃

本丸南虎口です😊
ここにも立派な門が建っていたのでしょうか😌

こちらが、箕輪城本丸跡です😃
本丸をぐるりと囲む、土塁の上から撮影しています😊

土塁がすごくはっきりわかります😊
遺構そのままというよりは、整備してこのようになった感じがします😌

「箕輪城跡」の立派な石碑がありました😊
逆光だったのが少し残念です😅

箕輪城跡の本丸まで来ましたが、見所沢山の箕輪城跡のお城めぐりはまだまだ終わりません😃
次回へ続きます😊

箕輪城跡・1(2024年3月)

2024年03月21日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちはこんちゃんです😊
この日のおでかけは、ワタシのお城めぐりだったのですが、お先にぺろ氏のスタンプを押しに行きました😌
なぜなら、こちらの高崎市箕郷支所に行けば、箕輪城跡の案内パンフレットなどが、手に入るのではないかと思ったからです😊
予想通り、こちらでパンフレットを頂くことが出来ました😃

吹き抜けに、歴代城主の家紋の幟が飾ってありました😊
パンフレットによると、箕輪城は、西暦1500年前後に長野氏が築城したそうです(左から3番目、長野氏の家紋、檜扇)😌
長野氏は武田氏の西上野侵攻に際して、箕輪城を本拠にして最後まで抵抗しましたが、永禄9年(1566年)に武田信玄に落とされたそうです😌
その後は、武田氏(右端、武田家の家紋、武田菱)、織田氏、北条氏(左から2番目、北条家の家紋、三つ鱗)、徳川氏といった戦国大名の拠点として、各大名の有力家臣が配置されたみたいです😊
最後の城主井伊直政は、徳川家康の家臣の中では最大石高の12万石で封じられたそうです(右から2番目、井伊家の家紋、丸に橘)😃
その8年後の慶長3年(1598年)、井伊直政は城を高崎に移し、箕輪城は廃城となったそうです😌
真ん中のは高崎市旗でした😊

シュタッ❗
ぺろ氏、早くして下さい💦
ワタシは早くお城めぐりがしたいのです❗
ぺろちゃん「じぃ~😃」

さて、ぺろ氏の用事も終わり、搦手口にある史跡箕輪城跡駐車場へ移動してきました😌
ここからお城めぐりを始めます😌
本当にお久しぶりですね😅
それでは始めましょう😊
第138回こんちゃんのお城めぐり「箕輪城跡」です😃

まずは搦手口から入ってゆきます😌
搦手口には、外堀と搦手馬出があったそうです😊
それではワタシに付いてきて下さい❗タッタッタッ🐾

すぐに道が分かれてました😌
右は、直接「二の丸」へ行ってしまうようなので、左へ行き「郭馬出西虎口門」を目指します😊

すぐに見えてきたのが、「大堀切」です😃
箕輪城を南北に分断する堀で、堀の南側が落とされても城の主要部の北側を守ることができる役割を果たしているそうです😌

堀底を歩いて、土橋の下まで行ってみました😊
左上が「郭馬出」で、右上が「二の丸」になるんですね😃

「大堀切」の堀底から、遊歩道へ戻り、今度は南側から堀切越しに「郭馬出」を眺めました😊
復元された門も見えてきましたよ😌

南側にも曲輪が続いていました😊

こちらは「木俣」とゆう名称のついた曲輪です😌

郭馬出西虎口門です😊
平成28年11月に復元工事が完成したそうです😌
この虎口は本丸への登城ルートのうち、城南側からの2ルートが集約される防御上極めて重要な場所となっていたそうです😊

立派な櫓門が復元されていました😊
検出された箕輪城の城門の中では最大規模(幅5.73m、奥行3.48m)を誇り、箕輪城を象徴する城門の1つであったと想定されています😌

門を入ると、郭馬出になります😊
52m×27mの曲輪で、南側に出撃する拠点の役割があるそうです😌
大堀切に唯一ある土橋を渡ると二の丸へ行けるのですね😊

「郭馬出」の石碑から大堀切を見下ろしました😃
先程は、あの堀底から見上げていたのですね😌

振り向くと反対側にも大堀切が続いています😊
郭馬出西虎口門をもう一度出て、大堀切へ下りてみます😃

大堀切へ下りてきました😃
この堀を唯一渡ることができる土橋の基底部では、土留めの役割を果たす石垣を確認したそうです😊
こちらで見れた石垣は再現されたものなんでしょうね😌

大堀切をずうっと下って行きました😊

すると虎韜門駐車場に出ました😊
ここには、虎韜門の石垣が残っていました😃
こちら側が大手になるようです😌

次は、大手門のあった場所まで行ってみるところから始めたいと思います😊

再築前橋城(2023年12月)

2024年01月18日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちはこんちゃんです😊
1県スペシャル「群馬県」のご挨拶で、群馬県庁を訪れましたら、何やら土塁のようなものがあったので、見に来ました😌
そうしたら、「再築前橋城復元図」とゆう看板がありました😊
そうですか😌
やはりここは城跡だったのですね😃
では、当然ワタシの出番になります😌
さぁ、群馬県初のお城めぐりを始めましょう😃
こんちゃんのお城めぐり、第137回「再築前橋城」です😊

再築前橋城は、文久3年(1863年)着工後、3年8ヶ月かかって、慶応3年(1867年)3月に完成したそうです😌
城の縄張りは、旧前橋城三ノ曲輪を本丸とした渦郭式で、城郭総坪数は、旧前橋城に匹敵したそうです😊
城を取り巻く土塁の要所要所に砲台が設けられるなど、近代的な城郭であったが、完成を急ぐあまり、城門や建物は簡素なものであったそうです😌
城は、城郭としての機能を果たさないまま明治維新を迎え、本丸御殿(後の群馬県庁舎)を残して取り壊されたそうです😢
現在、本丸跡が群馬県庁となっているそうですが、現存する城の遺構は少ないみたいです😌

こちらは群馬県庁土塁で、再築前橋城土塁跡なんだそうです😌

土塁に沿って歩いてゆくと「前橋城跡の碑」と書かれた標柱が立っていました😊
土塁の上にあるみたいなので、行ってみましょう😌

こちらが、「前橋城址之碑」ですか😊
碑文には、城主松平直克の城再築の功を偲んでこの碑を建てるとあるそうですよ😌

土塁の上を、歩いては行けないみたいで残念です😌

遺構は少ないとありましたが、この部分の土塁はよく残っているのではないでしょうか😌

県庁の駐車場につながるこの場所は、かつて「高浜門」とゆう門だったようですよ😊

今回は群馬県庁の周りしかめぐれませんでしたが、他にも遺構は残っているみたいです😊
機会があったら、見に行きたいと思います😊