おでかけ大好き!ピースくん

ぼくピースくんが色んな所に遊びに行った写真を発表しま~す!

徳丹城跡(2023年10月)

2023年12月27日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちはこんちゃんです😊
お城めぐりの時間です😌
第136回こんちゃんのお城めぐりは、国指定史跡「徳丹城跡」です😊

今からおよそ1200年前の平安時代前期に、征夷将軍、文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)によって造営された城柵なんだそうです😌
日本最初の木製冑が出土するなど、考古学上貴重な遺跡みたいですよ😊

お城めぐりは、徳丹城跡の近くまで行くも、どこから入っていいのか、どこから見学するものなのかも分かりませんでした😅
うろうろして、やっと見つけた最初の石碑は、「史跡 徳丹城跡 北門跡」でした😊
徳田小学校の北側にありました😌

国道4号線を北から南へ歩いてゆくと、今度は「国指定史跡 徳丹城跡」の石碑を見つけました😊

徳丹城跡は、現在の国道4号を挟んで、一辺およそ355mの正方形を成す築地や柵列跡が確認されているそうです😌
ちょうど国道4号線を跨ぐ歩道橋がありましたので、上から見てみることにしました😊

徳田小学校の校庭の南側に、建物の遺構を平面展示している所が見えました😃
中央には一辺約76mの政庁があったそうで、そちらを平面展示しているようです😊
政庁周りには整然とした「官衙」や、遺跡の東側には北上川に向かって延びる約400mの人工水路の跡も発見されているそうですよ😌

国道の向こう側にも見えました😊

1200年前の城柵は、この土の下にあるのでしょう😊
在りし日の姿を思い浮かべながら、お城めぐりを終わりたいと思います😌

以上、こんちゃんでした😊

鍋倉城跡(2023年10月)

2023年12月16日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちはこんちゃんです😊
遠野市にある鍋倉城跡に来ました😃

鍋倉城跡は、天正年間(1573~92年)に遠野を治めていた戦国大名の阿曽沼広郷によって築かれたと伝わっているそうです😌
阿曽沼氏は、豊臣秀吉に礼を欠いたため大名の地位を失い、南部家の配下となったそうです😞
さらに、慶長5年(1600年)には家臣の謀反により遠野を追われ、城代が遠野を治めることとなったようです😓
寛永4年(1627年)盛岡藩主南部利直の命により、筆頭家老の南部(八戸)直義が、八戸の根城から所替えし、遠野に入ったそうです😊
そうでした、八戸の根城南部氏がこちらへ来て、遠野南部氏になったのでしたね😃

鍋倉城跡は、県内屈指の大規模な中世山城の遺構を良好に残し、近世期も大きく改変せず近世城郭として利用し、戦国期から明治期まで存続した稀有な城郭として史跡指定に値するとして、令和5年3月20日国指定史跡となったそうです😊

長くなってしまいましたが、それでは始めましょう😌
こんちゃんのお城めぐり、第135回は「鍋倉城跡」です😃

まず、南部神社の鳥居をくぐり、石段を上って行きましょう😊
こちらには、中御門があったそうです😌

石段を上ると、南部神社の社殿がありました😊
明治時代、旧城跡に社殿を建てて鍋倉神社と称していましたが、昭和時代に南部神社と改称したそうです😌
勤王八世の南部氏をご祭神として祀っているそうです😌

南部神社境内に、「正面登城口」の看板がありました😃
本丸、二の丸、三の丸に登城する道は、北に面した急な谷地の湿潤な地帯を囲む様に構築された道を登ったそうです😌
現在の神社前登り口の通路はその跡なんだそうですよ😊

では、登って行きましょう😃
ワタシがご案内します❗タッタッタッ🐾

下から見上げると、竪堀のように見えました😃

こちらは、切岸っぽいですね😃

こちらは堀切ではないでしょうか😃
遺構かどうかは、分かりませんが、ワクワクします😊

三の丸手前にある駐車場は、武者溜だったそうです😊

下にも曲輪が見えますねぇ😊

そして、遠野の街がよく見えました😃
鍋倉城跡は、遠野市の市街地南端にある鍋倉山(標高344m)にあります😌
鍋倉山は、遠野盆地中心平野部に突出した半島状の地形で、東側と北側は来内川、西側は猿ヶ石川に囲まれた天然の要害なんだそうです😌
いい場所にあるお城だったから、中世から近世にかけて、ずっと使われてきたのでしょう😃

「三の丸址」の標柱があります😊
三の丸に着いたようです😃
遠野南部家の重臣、中舘氏と福田氏の屋敷があったそうです😌
中世には東館と呼ばれていたそうですよ😊

三の丸には、天守閣風展望台がありました😊

三の丸の端から見下ろす景色は、切岸と帯曲輪みたいで、遺構にみえました😊

三の丸から武者溜へ戻って、今度は本丸を目指します😃

本丸手前に「大手門址」の看板がありました😊
ここにかつて、大手門があったのですね😌
阿曽沼氏の時代は、二階造りの「二楼門」であったそうですが、慶長7年(1602年)盛岡南部利直の命により、「四ツ足門」に改めたそうです😊

本丸に着きました😃
本丸には、城主の屋敷があったそうです😌

本丸跡では、平成2年(1990年)から平成10年(1998年)度までに、5次にわたって発掘調査が行われたそうです😌
その結果、慶安4年(1651年)の火災後に建てられた本丸屋敷と推定される礎石建物等が、検出されたそうです😊
本丸屋敷と推定される礎石建物の遺構は、「鍋倉城本丸屋敷絵図」(安政3年(1856年)以降作成)とピタリと符合し、それによって、屋敷の正確な位置と、間取り、部屋の名前が明らかになっているそうです😌

「本丸館跡」の標柱です😃
かつてこの場所に、城主の屋敷が建っていたのです❗

あちらに、「本丸館 玄関跡」の標柱が建っていました😊
あそこが玄関だったのですね😌

本丸跡には、礎石が今も残っているそうです😊
これなど、まさに、礎石ではないでしょうか😃

本丸跡を出て、西側の搦手門跡方面に行ってみましょう😊

上から見た感じで、あそこが旧搦手門ではないかと思いました😌
築城当初はこちらが大手門だったそうです😊

最後に二の丸を目指します😊
左の坂を登って行くと二の丸みたいです😌

坂の途中に、「二の丸御門跡」の標柱がありました😊
こちらには、御門の礎石が残っていました😌

二の丸です😊
遠野南部家の筆頭家老、新田氏の屋敷があったそうです😌
中世には南館と呼ばれていたそうですよ😊
昭和46年に城下の大慈寺からここに、遠野南部家墓所が移転されたそうです😌

最初に築城した阿曽沼氏、そして遠野南部家に思いを馳せながら、今回のお城めぐりを終わりたいと思います😌

こんちゃんがお送りしました😊

久慈城跡(2023年10月)

2023年11月30日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちはこんちゃんです😊
やっとこの日がやってまいりました😌
お城めぐりです😊
初めて訪れるお城です😃
どれだけ待ち望んだ事でしょう😌
久慈市にある、久慈城跡です😊
久慈市は何度も訪れていたのに、どうして連れてきてもらえなかったのでしょう😒
まぁ、今回来れたので良しとしましょう😌
それでは、第134回こんちゃんのお城めぐり「久慈城跡」を始めましょう😊
久慈城跡は、岩手県指定史跡に令和4年4月8日に指定されたそうです😌
最近指定されたばかりなので、新しい説明板などがありました😊
久慈城は久慈氏の居城で、久慈信実が文明年間に久慈大川目に居を構えたと伝えられているそうです😌
中世の山城であり、主郭や堀切などが良好な状態で残っているそうですよ😊
楽しみです😃
そして…

おぉ~😲
「津軽藩初代藩主為信公出身地 久慈城跡」の幟がたっています❗
南部の出とは聞いておりましたが、ここでお生まれになっていたとは❗
初めて知りました😃
後で調べたところによると、諸説あるようです😌

案内板がある入口付近は、主要な郭を囲むように馬場跡があったようです😌

鳥居をくぐって上ってゆくと、牛頭天王社がありました😊
まずはお参りをしてから、お邪魔させて頂きます😌

牛頭天王社から左へ行ってみました😌
入口にあったパンフレットの、「久慈城跡平面図」によると、ここも何らかの郭であったようですね😊
それでは主郭を目指して参りましょう😃
ワタシがご案内します❗タッタッタッ🐾

下の郭から上の郭へゆく坂道です😊
こちらは遊歩道として、後から整備されたものでしょうか😌

坂道を上がると、「Ⅱの郭」に出ました😊
どのような施設だったのでしょう😌

「Ⅱの郭」から「主郭」はすぐの場所にありました😊
少し遊歩道が曲がっていたので、もしかしたら、ここには虎口などがあったのかもしれませんね😌

「岩手県指定史跡 久慈城跡 主郭」の標柱です😊
岩手県指定史跡になり、令和4年に建立されたようです😌
まだまだピカピカです😃

主郭は、林になっていましたが、下草がきれいに刈られ、平坦な郭の様子がよく分かりました😃
城跡としての整備もよくされていて、見学しやすかったです😊

主郭を突き当たりまで歩いてゆくと、堀切が見えてきました😃

堀切に下りてゆけるようです😊
行ってみましょう😃

堀切から竪堀につながっていました😊
とてもよく残っていました😃

堀切を越えて、1番奥の郭まで来ました😊
突き当たりに稲荷社があったので、お参りしてから元の道を戻りました😌

主郭、Ⅱの郭と戻り、お隣の「Ⅲの郭」に出ました😊

Ⅲの郭からは、井戸跡を目指して下ってゆきます😊
ワタシに付いてきて下さいね❗タッタッタッ🐾

井戸の坂道・上と下を通って、井戸跡に出ました😌
ここにも標柱が建っていました😃
「岩手県指定史跡 久慈城跡 井戸跡」の標柱です😊
お城にとって、井戸は大事ですからね😌

ここから、主郭方面には戻らず、入口の馬場跡へ向かいました😊

天正19年(1591年)の九戸政実と南部信直との戦い「九戸一揆」で、久慈直治、政則父子は九戸方の武将として参戦し、破れて久慈氏の直系は滅亡、久慈城も廃城となってしまったそうです😞
為信公もここに残っていたら、歴史が変わっていたのでしょうね😓
そんな事を想像しながら、今回のお城めぐりを終わりにしたいと思います😌

それではまた次のお城めぐりでお会いしましょう😊
こんちゃんがお送りしました😃

八戸市 史跡根城の広場(2023年10月)

2023年11月26日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちはこんちゃんです😊
今回はぺろ氏に同行して、八戸市博物館へ来ました😌
少しお時間を頂いて、史跡根城の広場をめぐりたいと思います😊
まずは、八戸市博物館前にいらっしゃる、「南部師行公」銅像にご挨拶してから参りましょう😌
良い角度で建っていますねぇ😊

史跡根城の広場入口です😊
根城には、第38回こんちゃんのお城めぐりで来ています😌
2019年9/25(水)のことですから、もう4年も前のことになるのですね😊

入口にある門が修復中のようです😊
この門は、八戸城東門でしたね😌
根城が廃城になった時に八戸城に移築され、史跡公園の整備の際に根城に戻ってきたのでしたね😊
歴史のある門を後世に残す為に、修復は必要ですからね😌

広場に出ました😊
根城は8つの郭でできた平城だったそうでしたね😌

今は大きな広場になっています😊
空が広いです😃

中館の堀跡です😊

奥に見えるのが本丸です😃

中館と本丸の間の堀と木橋です😊
今回は時間がないので、本丸へは行きませんでした😞

馬淵川方向は、段差がありますね😊
天然の堀の役割をしていたのでしょうか😌
自然の地形を使った良いお城だったのでしょう😊

最後に中館の堀跡を眺めながらお別れします😌

最近のお城めぐりは再訪ばかりですね😩
そろそろ新しいお城もめぐってみたいものです😊
次回のお城めぐりは、どこになるのでしょう😌
楽しみに待ちたいと思います😊
それではまたどこかのお城めぐりでお会いしましょう😃
こんちゃんがお送りしました😌

史跡聖寿寺館跡(2023年9月)

2023年10月22日 | こんちゃんのお城めぐり
引き続きこんちゃんです😊
ぺろ氏が南部町にある「史跡 聖寿寺館跡案内所」を訪れましたので、ワタシは、聖寿寺館跡を見学しに行きました😃
聖寿寺館は、三戸南部家が「三戸城」へ移る前の拠点だったところでしたね😌
こちらも、2019年9月に第40回のお城めぐりで来たことがありました😊

史跡 聖寿寺館跡案内所からすぐの場所で、発掘調査が続けられていました😊
2019年に訪れた時とは、別の場所が発掘調査中でしたね😃

まだまだ調査は続きそうです😌

こちらの堀跡みたいな所は、前回来た時もありました😌

反対側にも続いています😊
どのくらいの規模だったのでしょう😌

前回も立たせて頂いた標柱に、今回も立たせて頂きました😃

絶賛発掘中です😃

国指定史跡聖寿寺館跡は、2019年から4年経ち、まだまだ発掘調査が行われていました😊
発掘調査の結果、どのような史跡に整備されてゆくのかも楽しみですね😌
いつかまた訪れてみたいものです😃
以上、こんちゃんでした😊