子ども抜きですすんでいる印象が強すぎる、オンライン授業をめぐる3閣僚の対立
前屋毅 | フリージャーナリスト・10/14(水) 7:00
オンライン授業をめぐって萩生田光一文科大臣と平井卓也デジタル改革担当大臣、河野太郎規制改革担当大臣とのあいだに不穏な空気が流れている。不毛な争いがエスカレートしそうな雲行きなのだが、そこには「子ども中心」の考え方が抜け落ちている。それでは不毛でしかない。大事なことに立ち返って議論をすすめるべきではないだろうか。
●オンライン授業論議は誰のためなのか
萩生田文科相が、「オンライン授業だけで学校へ行ったことにするような乱暴な代替策は現段階で考えてほしくない」と平井大臣と河野行大臣に伝えたと明らかにしたのは10月9日の記者会見の席でのことだった。
6日の記者会見でも萩生田大臣は、「すべての授業がオンラインで代替できる、授業日数にカウントする、というのはいまの段階では考えていない」と述べている。小中学校でのオンライン授業に慎重な姿勢を示したのだ。
さらに9日の記者会見で萩生田大臣は、「オンライン授業を行う際には、原則として児童や生徒のそばに教員が同席することが必要だという考えを改めて強調した」とNHKの『NEWS WEB』(9日付)は報じている。そして、「一人ひとりに適切な指導をするためには児童・生徒のそばに教師がいる必要があり、教師がいない指導が対面授業に代替できるとは考えていない」という萩生田大臣の発言を記事は紹介している。オンラインなのに必ず横に教員がいなくてはならないというのは、不思議な感じがしないではない。
そもそもの発端は2日の、萩生田大臣と平井大臣、河野大臣の3閣僚による教育のデジタル化についての意見交換だった。その場で3人は、デジタル教科書への移行では一致している。
ただ、家庭を含めたオンライン学習を授業時数にカウントするように平井大臣が求めたのに対して、萩生田大臣は「いまの段階では考えていない」と拒否。にもかかわらず河野大臣がかかわる規制改革推進会議では7日、オンライン教育をデジタル時代に合致した制度として恒久化する考えを明らかにしている。
2日の3閣僚会議で萩生田大臣が行ったと反論を、河野大臣は無視したことになる。オンライン授業恒久化の流れを、規制改革推進会議を使ってつくろうとしているともいえる。平井大臣も同じ立場だろう。つまり、萩生田大臣対平井大臣・河野大臣の図式になってきているのだ。
そのため萩生田大臣は、家庭を含めたオンライン授業に反対する発言を繰り返しているわけだ。子どもたちが家で授業を受けられるオンラインが恒久化すれば、教員の数も減らされるだろうし、学校そのものの存在が問題にされることになるかもしれない。
だからこそ、萩生田大臣は反論を続けているのかもしれない。彼は、教員と学校の「味方」になろうとしているのかもしれない。これに好感を示す声も少なくない。
しかし問題は、ただデジタル化をすすめるためにオンライン授業の恒久化を急ぐことでも、教員と学校の存在を守るためにオンライン授業に反対することでもないはずだ。子どもたちにとって、ほんとうにオンライン授業が必要なのかどうかを考えることだ。子どもたちのためになるオンライン授業を考えることこそ優先しなければならないことではないだろうか。
子どもたちのためにならないのであれば、オンライン授業は必要ない。同じく、子どもたちのためにならないなら教員や学校も必要ない。それを抜きの議論はムダでしかない。オンライン授業をめぐる議論は、それを問い直す絶好の機会ともいえる。
前屋毅 | フリージャーナリスト・10/14(水) 7:00
オンライン授業をめぐって萩生田光一文科大臣と平井卓也デジタル改革担当大臣、河野太郎規制改革担当大臣とのあいだに不穏な空気が流れている。不毛な争いがエスカレートしそうな雲行きなのだが、そこには「子ども中心」の考え方が抜け落ちている。それでは不毛でしかない。大事なことに立ち返って議論をすすめるべきではないだろうか。
●オンライン授業論議は誰のためなのか
萩生田文科相が、「オンライン授業だけで学校へ行ったことにするような乱暴な代替策は現段階で考えてほしくない」と平井大臣と河野行大臣に伝えたと明らかにしたのは10月9日の記者会見の席でのことだった。
6日の記者会見でも萩生田大臣は、「すべての授業がオンラインで代替できる、授業日数にカウントする、というのはいまの段階では考えていない」と述べている。小中学校でのオンライン授業に慎重な姿勢を示したのだ。
さらに9日の記者会見で萩生田大臣は、「オンライン授業を行う際には、原則として児童や生徒のそばに教員が同席することが必要だという考えを改めて強調した」とNHKの『NEWS WEB』(9日付)は報じている。そして、「一人ひとりに適切な指導をするためには児童・生徒のそばに教師がいる必要があり、教師がいない指導が対面授業に代替できるとは考えていない」という萩生田大臣の発言を記事は紹介している。オンラインなのに必ず横に教員がいなくてはならないというのは、不思議な感じがしないではない。
そもそもの発端は2日の、萩生田大臣と平井大臣、河野大臣の3閣僚による教育のデジタル化についての意見交換だった。その場で3人は、デジタル教科書への移行では一致している。
ただ、家庭を含めたオンライン学習を授業時数にカウントするように平井大臣が求めたのに対して、萩生田大臣は「いまの段階では考えていない」と拒否。にもかかわらず河野大臣がかかわる規制改革推進会議では7日、オンライン教育をデジタル時代に合致した制度として恒久化する考えを明らかにしている。
2日の3閣僚会議で萩生田大臣が行ったと反論を、河野大臣は無視したことになる。オンライン授業恒久化の流れを、規制改革推進会議を使ってつくろうとしているともいえる。平井大臣も同じ立場だろう。つまり、萩生田大臣対平井大臣・河野大臣の図式になってきているのだ。
そのため萩生田大臣は、家庭を含めたオンライン授業に反対する発言を繰り返しているわけだ。子どもたちが家で授業を受けられるオンラインが恒久化すれば、教員の数も減らされるだろうし、学校そのものの存在が問題にされることになるかもしれない。
だからこそ、萩生田大臣は反論を続けているのかもしれない。彼は、教員と学校の「味方」になろうとしているのかもしれない。これに好感を示す声も少なくない。
しかし問題は、ただデジタル化をすすめるためにオンライン授業の恒久化を急ぐことでも、教員と学校の存在を守るためにオンライン授業に反対することでもないはずだ。子どもたちにとって、ほんとうにオンライン授業が必要なのかどうかを考えることだ。子どもたちのためになるオンライン授業を考えることこそ優先しなければならないことではないだろうか。
子どもたちのためにならないのであれば、オンライン授業は必要ない。同じく、子どもたちのためにならないなら教員や学校も必要ない。それを抜きの議論はムダでしかない。オンライン授業をめぐる議論は、それを問い直す絶好の機会ともいえる。