導かれる日々

だれでもできる、心、からだ、魂のセルフケアを綴っています。
読んで、感じて始まるプロセスを楽しみましょう^ - ^

心配と信頼

2023-03-28 08:50:00 | 私のメンテナンス
みなさま おはようございます。

天気予報では東京だけ雨の朝
雨足が弱くて優しい雨に感じたからかな、

いつもの時間にいつもどおり家を出て
歩くことにしました😊



学生さんの春休みも始まって、
今朝の街はすこし週末みたいな空気感があります。

こうなると、なぜか書きたいことが湧いてきたり、今目の前にある

素敵

をシェアしたくなってくるんですね🌸

そういうときは抗わずに書いてアップしたり、それを伝えたい人に連絡するようにしています😊

そんな今日は、心配と信頼について書きたいかなあと。







医療業界に長くいるとですね、

私の場合、今起こりうる「最悪」をシミュレーションしてそこに至る可能性のある芽を早め早めに摘んでいくような思考過程になっています。

いまの教育のトレンドは、もしかしたらそうじゃないのかもしれないけれど、高校を卒業して以降たたきこまれた、この「最悪回避」の問題解決思考は息をするようにできることのひとつになっているなあって思います。

この考え方は、安全とか生存とかのためには必要不可欠なものであることは間違いないその一方で。

ともすると

心配

のエネルギーが息苦しさを生じさせてしまうこともあるなあって、先週の友達との魂ミーティング(日帰り合宿状態 笑)で話が出て、ああそうだなってしみじみ思ったり反省した次第です。





20代、自分を傷めているんでは?っていう恋愛をしていた時期だったかな、母親が私を見て

「心配、心配😢」

ってオロオロしていたのを

「心配したくてしてる、そういう趣味の人に違いない。そんな心配いらないのに。「心配」で支配しないでほしい。あなたの思い通りにはならない」

っていう感じで
冷めた目で見ていたのを思い出しました。

(あなたそりゃ酷よって当時の母親の年齢になった私は思いますけど😅)

そして、その頃の自分や母親を
いまはとても愛おしく感じています。

当時の母親の
心配
は、きっと娘の生存や幸せをこころから祈るものであったんですよね。

母親という安全地帯から自由になって、自分の人生を体験し尽くしたい当時の私には

支配  

のように映ったのだろうと思います。

これって、親離れの順調なプロセスだなっていまなら思えるけど、当時はなんだかなぁって思っていました。

母にとっては繭のつもりが
私にとっては檻だったみたいな感じだったんじゃないでしょうか。

一方、当時の父親は

「あの子は大丈夫だから黙っておけ」

っていうような関わりだったんですけども。
当時のわたしはわたしで

「放っておかれてる」

って思っていたりなんかして、
まったくどうして欲しいんだか笑!

めんどくさいこの感じ、やっぱり今となっては可愛いですねー笑笑

しかし今思うにこの父親の感じって

「信頼」

だなって思うんです。これって
どんな結果になったとしても、っていう、ある意味

覚悟

がセットになっているんですよね。


心配 
信頼
同じ愛であることに変わりはないし
どちらがいいとか悪いとかでもなくて

母性と父性
とか
女性性と男性性
の違い

なのかもしれないなあっていう結論に、友達と話していてなりました😊

心配だろうと信頼だろうと、愛であることに変わりはないし

心配からは安全への祈りを
信頼からは安心へのバトンを

うん十年経ってから、今朝みたいにゆっくりしっかり受け取ったっていい。






…ここまで書いて感じたことを。

わたしもまだまだ未熟だけれど
そのものを信頼してしっかり受け取れる器になれたら、そんな器であれたら、素敵だなとあらためて思います😌

そして
自分と周りを信頼して
心配はそこそこに
愛でいたいと思います😊

なんだか
今朝の優しい雨につられてとりとめもなく書いてしまいました。






読んでくださりありがとうございました😊

さら







コメント
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