ひさびさに、実家に帰省しています。
コロナ禍以降帰れていなかったから
じつに4年ぶり。
空が青くて深い!
緑が濃ゆい!
家族の顔とふるさとの風景
実家の畳の感触…
そこにいて、感じるだけ触れるだけで
否応なくわたしの全てを緩ませてもらいまして
帰省初日は畳の上でお昼寝のつもりが
すっかり爆睡。
夜も、みんな早寝早起きだから、21時過ぎには真夜中な雰囲気になり!
全員22時前には就寝するという…
まずは疲れをどっぷり癒す帰省になっております。
どっぷり休んだ後に気づいたのは
いつもと同じ場所
いつもと同じ故郷の味
いつもと同じ会話
なのに
いままでとずいぶんと違うふうに感じることがあるなあって。
それは
親との間に、境界線をはっきり感じるということ。
親には親の、わたしにはわたしの人生があるし
大切にしたいことが違ったり
生き方が違ったりしても 全然いいじゃないかって
当たり前みたいな事かもしれないけれど
ああ、ホントにそうなんだよなあって
あらためて腑に落ちたっていう感じに
今回なったんですよね。
特別何があったわけではないけど
これまでの育て直しの影響は結構ありそう…
親の悩みとか、困りとか。
今まで、全部わたしがなんとかしなきゃって思ってたんだなあってあらためて思っています。
「家族は、自分と同じくらい大切なもの」
って力が入った感じで思いっきり背負っていた。
いつからなんて覚えていないし、多分妹が生まれた4.5歳からはそうだったのだろうなと思います。
高校からは家を出て通っていたので、
しっかり子供をできないままに
ずいぶんと早くに自立した感じだから
まっすぐな親からの愛情をうけとりたくて
随分と頑張ってきたんだなって
父親のことも
母親のことも
大好きだから助けたかったんだな
ってしみじみ思う夏になってる。
親の思いや悩みを聞くときは
いまは、少し離れたところから
「そうか、いまそう思っているんだね。
そしてわたしにそんな感じでいま話したいって思ったんだねぇ。なるほどなあ」
っていう感じで
聞いている自分を見ている感覚です。
わたしがなんとかしなきゃじゃなくて
きっと、大丈夫だよ、って
力を抜いて聞いていられるのは
なんなんだろな、面白いなあって
思っています。
親の価値観を聞いて
「なにそれ?わたしはやっぱりそうは思えないし、思わなくていいなあ」
って口に出さなくても
自分がそう思ってきっぱり線を引くことは、いままでのわたしにはとても難しいことでした。
少し前は、そんなだからわたしはダメなんだと下手したら自己否定してたかもだけど、そんなことはもうしないって決めています。前も書いたかもしれないけれど。
親を何とかして助けてあげなきゃ!って思いいたるほどの愛、
自分を削って渡すような使い方や、
無意識に
愛されるという見返りを求めるために
助けるほうにまわるというありかたではなく
深い信頼に包まれて
ただそこにわたしのまま、そのまま存在するように生きることでその力を使えたらいいなあって思いました。
親の価値観とか期待から自由になって
わたしは、ここに、いつもいるからね
って思いながら
わたし自身をしっかり生きていく、ってことなんでしょうけどね😌
って地元の温泉の柔らかで滑らかなお湯に包まれながらふんわりそう思ったんですよ✨
いつもの温泉なのに
いつもより滑らかで柔らかいお湯に
ひたすらひたすら感動してます😆