先日、中央図書館で昔の新聞を検索していたら、いつもの癖で調査と関係ない広告や記事に目がいってしまった。 ホーカー液の全面広告である。この製品の広告はしばしば見かけるのだが、今回、このコピーをとってきたのは、「美人系の調査!」という大見出しに惹かれたからだ。 「珍しい催しは大成功、皆ホーカー液の愛用者」との小見出しをつけて次のような本文が書かれている。 本舗試験部の一調査委員が或考案を提供しました。それは日本美人系と云ふ事でした。此実行に取懸ったのは数ヶ月前でしたが、其結果は代表的美人の写真六百枚許りを得、一々巨細なる美人系統と彼の麗質を形造った化粧の法とを記してあります。美人系に属する一般御婦人、花柳界の方々は日頃化粧には最も苦心する事が明らかとなり、素化粧及び白粉下には云合せた様にホーカー液を必ずお用ひになっている事が明白となりました。 日本地図に描かれた美人系略図。 ←クリックして拡大♪ ホーカー液はアメリカに輸出していたようだね。 さて、どこの美人がどんな特徴だったのかは、次の記事を拡大して読んでみてね。 ←クリックして拡大♪ ところで、このホーカー液というのは、どんな化粧品だったのか確認しておこう。明治42年(1909)に創業した堀越嘉太郎商店が製造販売していた美容液で、創業者の名前の頭文字である堀越の「ホ」と、嘉太郎の「カ」をそのまま商品名にしたものだ。 輸出をしていたくらいだから、当時は相当売れていたのだろうね。 堀越嘉太郎商店は化粧液だけではなく、「ホーカースイーツ」というキャラメルも製造していた。 化粧品とキャラメルがどうして、どのように結びついたのかは分からない。健康サプリなら何となく「そうか~」とも思えるが、食べ過ぎると太るようなキャラメルを造っていたというのがおもしろい。朝鮮人参を使っていたというから、滋養的にもいいものだったのかもしれないが……。 さて、このキャラメル工場で働いていて、のちにその体験をもとに佐多稲子が小説を書いている。処女作『キャラメル工場から』に登場するひろ子は11歳で女工として働くようになったが、彼女のモデルが佐多稲子、自分自身だった。 「プロレタリア文学と児童労働」という鳥木圭太氏の論文にその辺のことが書かれている。 佐多稲子『キャラメル工場から』の描いたもの (特集 連続講座「国民国家と多文化社会」格差拡大社会とグローバリズム : 第4回 格差社会と文学 2 : 弱きものとしての子供) +++++++++++++++++++++++++++++++ 今日は最後に昭和22年4月2日の記事をオマケとして載せておきます。 "闇の花"を一斉検挙 トラック六台に満載、警察へ 「ついに迷宮入り」の記事もすごい。これは時間があったら調べておきます。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
多いのですが、昔のそれは薬事法の規制
なんか受けなかったらしく、誇大広告もいいとこ。
この通りにしてたいへんな被害を受けた人も
多かったでしょうが、訴える手立てもなかった
のでしょうね。
摘発された女たちもマスコミは平然と顔出し。
まだ容疑はかたまってないのに……。
時代ですねえ。
昔はヒロポンまで広告に出ていましたね。
疲れが取れる、とか書いていたような記憶があります。
コピーを取っておけばよかった。
闇の女・・・美人系の広告と同じ日に出ていました。
それにしても顔出しのままトラックに満載って、
凄い時代でしたね。
昔の新聞をみていると、
この手の記事がよく現れます。
あとは猟奇殺人とか。
ついつい読み耽ってしまいます。