中華街には路上販売がかなり出ています。多くの方が知っているところでは、天津甘栗。これは相当な数ですね。いつか調査をしなければいけないと思いながら、もうずいぶん時間がたってしまいましたが、50軒以上はあるのではないでしょうか。
ほかにあまり知られていないところでは、魚の移動販売車、アサリの路上販売、焼き芋屋、台車による野菜の移動販売、唐辛子ストラップ販売、テレカ販売などがあります。
山下町小公園前には野菜・果物を売るオバアサンが出ていましたが、最近、見かけなくなりました。それもそのはず、彼女が路上販売していた場所にこんな貼り札が出たのですから。
あのオバアサン、どこに行ったんでしょうか。
野菜果物を売るオバアサン | 路上販売禁止の札 |
このオバアサンが物を広げていたスペースは、それほど広い面積ではなかったのですが、中華街の中には店舗を構えながら、歩道上に商品をたくさん並べている店もあります。それも、自分の店前だけではなく、隣の店の前まで広がっていたりしているのです。それはそれは、通行に支障が出るほどです。
これに比べたら、あのオバアサンの路上販売が占有する歩道面積なんてたいしたことないのでは、と思ったりするのはいけないのでしょうかね。
話は変りますが、路上販売といえば思い出す人がいます。その人(おばさん)は善隣門の前で、油条を売っていました。
それだけならどうと言うことないのですが、驚いたのはその店舗(?)の姿です。
路上販売に“店舗”というのもおかしいですね。こういう場合、なんと言ったらいいのでしょうか、商品を並べる“台”と言うんでしょうか、これが彼女の場合、この場に相応しくない異様な物だったのです。
普通、路上販売といえばゴザ、段ボール箱、ワゴンなどが使われますが、なんと、この人は3段組の衣装ケースの中に油条を何本も入れ、「100円で~す、100円で~す」と売り声を上げていました。
わたくしがいつも見かけたのは早朝でした。おそらく中華料理店に出勤するのであろう女性たちが、このおばさんから油条を買っている光景を何度も見たものです。
しばらくすると、善隣門前から彼女の姿は消えてしまいました。どこかから、何か言われたのかもしれません。
でも、おばさんはしっかり生きていました。今度は石川町駅北口の“西陽門”の近くで油条を販売していたのです。あの衣装ケースに入れて。
そのうち、商売が繁盛してきたのか、旦那らしき男性も販売を手伝うようになりました。その頃、わたくしも1本買って食べたことがありますが、何も問題はありませんでした。まあまあ美味しかったんではないでしょうか。
当時、あの石川町駅北口のガード下にはカバン屋と並んで「ドラゴンバナナ」という小さな店(カバン屋の張り出し部分)があり、若い兄ちゃんが油で揚げたバナナを売っていました。
同じ揚げ物のよしみか、油条夫婦とドラゴンバナナ兄ちゃんは、親しくしていたようです。ときには油条のおばさんが、ドラゴンのコーナーに入っていたりしました。
そうこうしているうちに、主客が転倒します。いつの間にか、このコーナーではバナナではなく、油条を売るようになっていたのです。店主(?)はもちろん油条夫婦。
衣装ケースに入れた油条を善隣門前で路上販売していたあのおばさんが、今では極小ではあるが屋根の付いた店舗を手に入れたのです。そして、いずれは油条販売の大手株式会社に発展し…なんて夢を描いていたかもしれません。
わたくしだって、そんな風に見ていました。「一代で財を成す」中国人のバイタリティを目の当たりにしているような気がしたものです。
ところが、これまたわずかの期間で撤退して、いなくなってしまいました。どこに行ってしまったのでしょうか。
さらにワンランク上にあがって、もっと大きな店を構えているのか、あるは再びどこかで路上販売をしているのか。
ここを通るたびに思い出します。
もめていたのを何度か見たことがあります。
消防団の出入り口だったのでことさら
まずかったのかもしれませんね。
たしかに、この公園の中には消防団の小屋があり、緊急時に出動する際、邪魔になるということなのでしょう。
営業中の模様です。たくましいですね。
以前は週の半分をえびす温泉前、残り半分を公園で営んでました。
このごろ、毎日・・温泉前だわ~と思っていたら
そういうワケだったんですね。
毎朝、台車に沢山の品物を乗せてやってきます。