人気の香港路でも、ひときわジモティーに愛されている「牡丹園」。 昼時はいつも近隣の会社員などで賑わっているのだが、金曜日はとくに彼らの存在が目立つ。 そう、毎週金曜日は牛バラ類ランチが100円引き♪なのだ。もちろん平日はデザートもサービスで付く。 ということで、5月16日(金)の中華街ランチは「牡丹園」へ。注文したのは牛バラ焼きそばである。 蒸し麺を焼いて、その上にあんかけをのせている。あん自体は玉ネギの甘みが混じり、そこに中華フレーバーな牛バラがゴロゴロ入っていて、かなりなボリュームだ。 麺もなかなか美味しい♪ 食後は杏仁豆腐で口中をさっぱりとさせる。 久々の「牡丹園」だったが、時間をずらして行ったので、ゆっくりと食事をすることができた。 次回も行くなら金曜日だな。 さて、そんな焼きそばランチを食べた翌日のことだが、コンビニでこんな物を見つけた。 焼き蕎麦! 焼きそばではない、ぺヤングの「和風 焼き蕎麦」である。蕎麦粉入りの麺を使っているそうだ。 日本の二八蕎麦の場合、蕎麦粉のほかに「つなぎ」として小麦粉を混ぜているのだが、こちらは逆。小麦粉に蕎麦粉を混ぜている。 以下、製造過程をご覧くださいね。 最後に、冷蔵庫の中で眠っていた長ネギを茹でて加えてみた。 食べてみると、不思議な美味しさが口中に広がる♪ あきらかに蕎麦の風味が感じられる。でも基本はどこか中華っぽい。 これは、なんだかクセになりそうな気がするな。 そういえば、かつて中華料理店で日本蕎麦を食べたことがあるのを思い出した。蕎麦屋でラーメンというのはよくあることだが、中華料理店で蕎麦というのは珍しい。 それを食べたのは中華街の「京華楼」だ。メニューには「蒸し鶏入り四川風蕎麦」と書いてあった。 麺は完全な日本蕎麦を使用しており、そこに蒸し鶏のほか、キュウリの千切り、赤・緑の唐辛子・香菜がトッピングされている。とてつもなく辛く、舌が痺れるほど痛かった! 中国では蕎麦を食べないと思っている人は多いと思うが、『誰も知らない中国拉麺之路』(坂本一敏著)によれば、実は陝西省、甘粛省、四川省、雲南省でも食べられているそうだ。 その本のなかでは、なんと中国の盛り蕎麦が紹介されているからビックリする。 食べ方は2通りあり、蕎麦の上に調味料をかけ掻き混ぜて食べる方法と、温かいスープをかけて食べる方法だという。 私が「京華楼」で食べた蕎麦は、この前者の食べ方と似ているのかもしれない。 最後に蕎麦を題材にした中国の小説を紹介しておこう。これは張競さんが書いた『中国人の胃袋』という本の中に出てくるのだが、話の中身はだいたいこんな感じだ。 唐の汴州の西に板橋店という宿屋がある。女将の三娘子(さんじょうし)は夫に死に別れ、子供も親族もいない。 宿ではロバがたくさん飼育されており、道行く人が乗り物のことで困ったりしていると、いつも安い値段で客にロバを売っている。 元和年間、許州から来た趙季和という人が東都へ行く途中、板橋店で宿泊した。宿屋に着いたとき、すでに6,7人の客がいたため、趙はもっとも奥の部屋に泊まった。 一枚の壁を隔てて、女将の部屋とは隣り合わせになっている。 日が暮れると、三娘子はご馳走を並べて、客たちを手厚くもてなした。夕食のあとも酒を出し、客たちと楽しく飲んでいたら、いつの間にか夜が更けてしまった。 客たちはしたたかに酔ってしまい、おのおの就寝した。三娘子も自分の部屋に戻って蝋燭の火を消した。 趙季和は酒が飲めないし、ほかの客が熟睡したあとも、なぜかなかなか寝付けない。 すると隣の部屋で何やら物音がするような気がした。壁の隙間を覗くと、三娘子が蝋燭に火をつけ、箱の中から木の人形や牛、鋤を取り出した。大きさはみな6,7寸ほどである。 口に水を含んで吹きかけると、人形たちと牛はたちまち動き出し、田を鋤で耕し始めた。三娘子は箱から蕎麦の種を取り出し、種まきをさせると、あっという間に花が咲き、蕎麦が実った。 人形たちに収穫させ、小さな臼でその場で粉に挽いた。全部で6,7升ある。作業が終わると、木の人形や木の牛に戻し、箱にしまいこんだ。収穫した粉でそのまま焼餅を作った。 まもなくニワトリの鳴き声が暁を告げる。三娘子は先に起きて、客たちに出来たての焼餅を出した。 不安に思った趙季和は一旦チェックアウトし、外に出て中の様子を覗いてみた。すると、食堂で焼餅を食べていた客たちは、突然、ロバの鳴き声をしたかと思うと、たちまちロバになってしまった。 三娘子はさっそくロバたちを店の後ろに追い込み、彼らが持っていた金品をことごとく自分のものにした。 1ヶ月余りたって趙季和は東部から戻り、また板橋店に宿泊した。 宿屋に入る前に、自分で蕎麦の焼餅をつくっておいた。三娘子は前回と同じように温かく迎え入れたが、趙季和の顔は覚えていない。 寝る前に三娘子は何かご要望はないかと聞いたので、趙季和は、明日早く発つから点心を用意してほしい、と頼んだ。 真夜中になって、奥の部屋を覗いてみると、彼女は前と同じことをしていた。 夜が明けると、三娘子はさっそく焼餅を盛った皿を食堂に運んできた。彼女がほかの食べ物をとりに行く隙を見て、趙季和は食堂に入り、その中の1枚を自分が持ってきたのとすり替えた。 しばらくしてから、趙季和が食堂に現れた。 彼は、「自分はたまたま焼餅を持っているから、いま出された分はほかの宿泊客のために残しておいてください」と言って、自分の持ってきたのを食べ始めた。 三娘子がお茶を運んでくると、趙季和は「味見でもしませんか」と言って、すり替えた焼餅を勧めた。 一口食べたら、三娘子はたちどころに逞しいロバに変身してしまった。 趙季和はそれに乗って出発した。(中略)ロバは一日百里も歩き、一度も遅れたことはない。 あっという間に4年の歳月が過ぎてしまった。 ある日、ロバに乗って道を歩いていると、路傍にいる老人は「板橋三娘子よ、おまえはなんて無様な格好をしているんだろう」と、手を叩きながら大笑いをした。 そして趙季和を止め、「彼女は確かに悪いことをした。しかし、あなたも彼女をずいぶんひどい目に遭わせた。どうか可哀想に思い、今日から自由にさせてください」と懇願した。 趙季和が承知すると、老人はロバの口と鼻のあたりから手で皮を裂いた。 すると三娘子は皮の中から飛び出し、元の姿になった。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
また、もと驢馬だった様な感じのご主人も多々見受けられます。クワバラクワバラ。
省、四川省、雲南省にまで辿り着くとは流石、団長殿。
普通は小麦粉で作るのですが、
張競さんは実際にこれを蕎麦粉で作ってみたそうです。
そこそこに良かったようですよ。
なんだか分かるような気がします。
光景が目に浮かびますよ。
話を思い出しただけです。
たいしたことありません。。。
これは行ってみたいですね。
牛バラ食べたいです。
100円引き、いいですよ。
金曜日だけですからね。
もう一つ覚えているのは、見てはいけないと
言われている箪笥の引き出しを、こっそり開けて
見てしまうと四段が春夏秋冬に分かれていて
やはり、中で動物や人形が農作業をしていたという話。
結末は忘れてしまいました、残念…。