ラッセル訓練中に雪崩が発生し、高校生ら8人の方々が亡くなるという痛ましい山岳事故が起きてしまいました。まだまだ先があるというのに残念です。 新聞やテレビでも報じられているとおり、指導する教員たちが犯したミスは計り知れないほど大きいと思います。 最近は毎日、この事件に関する記事を読みながら、自分も遭難寸前までいったことを思い出しています。 (ちなみに本文の内容と写真は関連ありません。画像は真冬に八ヶ岳に登ったときのものです) 高校の卒業式を終えて大学に入る前の春休みのことでした。地理の先生に連れられて、初めて山スキーに行きました。 最初はスキー場から入っていったのですが、その後はコースから外れて山の中を進んで行ったのです。 1時間以上斜面を登り、そのあと新雪を滑降してスキー場に戻るという計画でした。 ところが先生やスキーの上手な同級生たちはどんどん下って行ってしまい、初心者の私と友人が取り残されてしまいました。 必死に追いつこうとするのですが、転んだり深雪に突っ込んだりしていたので、彼らとの間隔は開いていくだけ…… 地図なんか持っていないし、さらに運の悪いことに雪が降ってくるし、まったく現在地が分からなくなってしまいました。 幸い雪崩に遭遇することもなく、山深く迷いこむこともなく、暗くなる寸前に下まで降りてくることができましたが、あの先生は我々を引率しているという自覚がなかったようです。 グループで山に入る場合、しっかりしたリーダーがいないと遭難の可能性もあります。社会人になってから入った山岳会で、訓練のため朝日連峰へ行ったときのことですが…… 雪の中で合宿を行いました。その時体験した怖い話は、いまさら書くのも面倒なのでコチラの記事をリンクしておきます。 お時間のある方はお立ち寄りくださいませ。 リーダーの責任は重いということなのですが、それでも他人任せではいけません。自ら考え判断し、場合によってはリーダーに意見を言い、いったん立ち止まって皆で話し合う必要があります。 このときは深く考えず、彼のあとについて行ったため、あのようなことになってしまったわけです。 単独行の場合は全責任が自分にあるので、困ったときはそこで地図情報や脳内アーカイブを探りますよね。 それでも《どうしていいか分からない》ということがあります。 これも厳冬期の八ヶ岳でのことですが…… 本沢温泉から入山し、天狗岳経由で横岳までというコース設定でした。途中に夏場でもどっちに行ったらいいか迷う、広い場所があります。 そこで吹雪になってしまったのです。 まったく周囲が見えません。こうなると地図も過去の情報も役に立たなくなります。 ヘタに動くと登山道から外れて山に迷いこんでしまうでしょう。 ホワイトアウトというやつです。 で、しばらく停滞していると、下から登ってきたグループのカラフルな防寒着がうっすらと見えてきました。 あちらも私の青い防寒着を確認できたはずです。 これでお互いを目印にして進むことができましたが、やっぱり雪山は怖いです。 栃木県教育委員会は今回の雪崩事故を受けて、県内高校生の冬山登山を全面的に禁止すると発表しました。 これに対し、冬山に限らず山は一年中危険であり、大切なのはその場の状況を見極める能力である、と登山家の野口健氏は語っています。 氏が例としてあげているトムラウシでの大量遭難もそうですし、古くは28年前に起きた立山大量遭難事故も思い出されます。 前者は7月。真夏なのに悪天候のため8人の登山者が低体温症で亡くなっています。 立山の遭難事故が発生したのは10月上旬。季節は秋ということですが、日本海側の山は一時的に冬型の気圧配置になっていたのです。 あの日は私も金峰山の頂上にいました。しかし、昼過ぎから真っ黒な雲がわいてきたため、国師ヶ岳まで行くのをあきらめて下山することに。 これは雪になると感じたのです。 案の定、すぐに雪が降り始め、あっという間に大雪となりました。一応、スパッツもピッケルも持っていたので安心して下山を開始したのですが、途中から猛吹雪になってきました。 これはまずい、どうするか…… 一気に町場まで下りるか、登り返して金峰小屋に泊まるか、少し考えると、すぐ近くに大日小屋というのがあることを思い出しました。 小屋といっても有人の山小屋ではなく避難小屋です。 雪をかき分け進んで行くと、小さな大日小屋が現れました。 もちろん管理人はいませんし、先客もゼロ。 さっそく備え付けの毛布を4,5枚敷いて、その上に寝袋を広げて夕飯の準備に取り掛かります。板塀の一部が剥がれているため、冷たい風と一緒に雪も舞い込んでくるという始末。 さらに毛布を頭からかぶってコンロに着火。お湯を沸かしレトルトカレーを温め、ウィスキーの小瓶を開けます。 かなり寒いけど気分は極楽です。 疲れているせいか、あっという間に睡魔が襲ってきて、カレーライスを半分残したまま寝込んでしまいました。 1時間ほど経った頃でしょうか、ガヤガヤと声が聞こえてきて数人の登山者が入ってきました。 彼らも避難してきたようです。しかし寝袋を持っていないので、残りの毛布を全て体に巻きつけて寝るしかありません。 「お前は毛布を使いすぎているから、少しこっちに寄こせっ」と言われるのではないかと思いましたが、何事もなく寝ることができました。 翌朝。起きると食べかけのカレーライスはカチンカチンに! 小屋の中には吹き溜まりができていました。その雪をカレーライスの鍋に入れて温めます。これでカレー味のおじやが完成です。 出発の準備を整え外に出ると、前日とは打って変わって真っ青な快晴♪ ルンルンの気分で下山しました。 帰宅して知ったのが立山の大量遭難事故でした。私もあのまま下山していたらどうなっていたか分かりません。 山を侮ってはいけない。そういう思いを強く感じた山行でした。 今回の雪崩事故で亡くなった高校生らは、まだまだ長い人生があったはずです。さぞや無念だったに違いないでしょう。 そして、なかには母と子供一人の家庭もあったとか。 たった一人残された母親が可哀そう…… ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
どうもありがとうございます。
確かに「自然」には勝てませんね。
私は丹沢で大怪我をしたこともあります。
悪天候か、悪天候でないのか、その見極めが大切です。
その力を養うには、経験を積むしかないのでしょうかね。
いつも楽しく拝見させていただいている者です。
参加者の生徒さんは「研修だ。」という気持ちで、安心して事故は考えていなかったことと思います。
今回の事故は、ショッキングで涙しました。
私自身幼少から四季を問わず自然と戯れる機会が沢山ありました。遭難はありませんが川で流されたり、新雪から抜け出せずずっともがいた等経験はあります。
ゲレンデ脇を音をたてた雪崩も見ました(怖)
ゲレンデでホワイトアウトも数回経験し、都度、目眩していました。
社会人になり、先輩が学生時代の恩師の山小屋に連れていっていただいた時の言葉が忘れられません。
「所詮人間は自然に勝てない。スキー場だって毎日表情は変わる。昨日は上手く滑れても、今日は上手く滑れない。上手く滑れないってことは、自然に負けてるってこと。向かいの山を見てみな。表情が違うだろ。
」っと。おっしゃるとおり。
それから、ビギナーを連れてのスキーの時は、この言葉を発しています。
中3の息子も幼少からスキーをしていまが、
この先輩の言葉を毎回言っています。息子も学校のスキー学校(ツアー)で学友が悪天候で滑ろうと言っても、学友をなだめ滑らないようです。
自然と戯れる時にはおごらず、ひとつでも???と思ったときは
「やめる」
大事ではないでしょうか。
引率の先生を責めるつもりはありません。
長文申し訳ありません。
私の所属していた山岳会の「いい加減」な連中が、
ヨーロッパアルプスで遭難しましたが、
「酔い加減」だったのかもしれません。
それでも全員が無事生還しましたが。
あれは本当に不思議でした。
最近、「山怪」という本が話題になっていますが、
その中に、何もない所に突然、夜店が出現したという、
怖い話が出ているそうです。
あの提灯もそれだったのかも…
あとになってから思い出すと面白い体験だったと思いますが、
当時は恐怖感で大変でした。
雪のある山は美しいですよね。
ずいぶん通いました。
でも北アルプスは怖くて駄目でした。
私も名前貸し準部員ということで、
平地の訓練参加、
つまり飯盒飯とキャンプのみ合流する活動をしていました。
中に1人優秀なヤツがいて、航空大学校を目指していましたが、
冬の谷川岳に単独登山し、帰らぬ人となりました。
それ以外の友人は皆似たり寄ったりの、私と同じ、
いい加減なヤツばかりで、
はっきりとした目標を持って高校生活をしていないためか、
登山で一人でもへたると、
引率の先生が叱咤激励しているにもかかわらず、
本隊と別れて、平気で下山する連中でした。
おかげで皆、この年齢まで、人生を全うしています。
「いい加減」は「良い加減」との信条で、
生徒会に徒党を組んで立候補し、
青春を謳歌した連中です。
今回の遭難事故は、
きっと「真面目さ」が裏目に出たんでしょうね。
でも一番怖いのは、命を失うことですね。
面白かった。
失礼!
勿論、冬山&雪山の美しさを眺めに麓をウロチョロはしました。
懐かしいですなぁ…