ここはJR桜木町駅コンコースにある立ち食い蕎麦の「川村屋」。正確に言えば“立ち食い”ではなく座り食いかもしれないが、まあ、ご覧のとおりのお手軽な店である。 だが、ここを安直な駅蕎麦と思ってはいけない。なかなか由緒ある店なのだ。 そのことを以前、記事に書いたら、最近「Seiji」さんから次のようなコメントをいただいた。 「偶然に、このBlog記事を、川村屋で発見しました」とのこと。 これはいったいどういうことだろうかと思い、「川村屋」に行ってみると… (クリックすると画像が大きくなるよ) こんな掲示物が出ていた。 今まで100%の確信が持てなかったのだが、これでハッキリした。やっぱり「川村屋」は、清水の次郎長も利用したというあの料亭「富貴楼」ゆかりの店だったのである。 これは30年ほど前の桜木町駅構内の地図である。 (クリックすると大きな地図を見ることができるよ) 現在の場所でいうと、だいたいこの辺かな… 当時の駅舎はヨーロッパの終着駅のような構造で、どこか旅情をそそる趣きがあった。 その構内の端の方に「川村屋食堂」が見える。一、二度、ここで食事をした記憶があるのだが、写真を撮っていないし、もう遠い過去のことで詳しいことは思い出せない。 構内にはもう一か所、ミルクスタンドの川村屋というのもあった。 駅舎を改造した際に、おそらく食堂が蕎麦屋に、ミルクスタンドが飲み物販売コーナーに変身し、なおかつ両者が一体化されて現在のお店が出来上がったのではないだろうか。 それにしても長年の疑問が解けて、なんだかスッキリ! 身体の方は便秘だけどね… さて、30年前の桜木町駅をご覧いただいたのだが、視野をもう少し広げて駅付近を眺めてみよう。 (クリックすると大きな地図を見ることができるよ) 今のみなとみらい側に広がる広場は、あの頃は貨物線の駅や操車場だったんだ。ちゃんと駅名も付いていて「東横浜駅」といった。 この駅が消えて新しい駅前広場を整備しているころだったか、こんなプレートを発見した。 東横浜駅をうたった詩である。 (クリックすると大きな画像を見ることができるよ) 作者は、この駅の関係者だろうか? それとも貨物線好きのマニアか? いいものを書いて残してくれたと思う。 …だが、今これを見ることはできない。駅本体だけでなく、このプレートまで、いつの間にか消えてしまったのである。残念だ… しかし一方で、あまり日の当たらないモニュメントを紹介する掲示物がコンコースに登場している。 鉄道創業の地記念碑を紹介するパネル。 その存在はよく知られているのだが、現物がどこにあるのかは分かりにくいため、その場所を示す地図も掲示されている。 これが実際の「鉄道創業の地」記念碑だ。 表面にはこう書いてある。 鉄道創業の地 我が国の鉄道は、明治5年(1872年)旧暦5月7日、この場所にあった横浜ステイションと品川ステイションの間で開通し、その営業を開始しました。 わたくしどもは、当時の人の気概と努力とをたたえ、このことを後世に伝えるとともに、この伝統が受け継がれて、さらにあすの飛躍をもたらすことを希望するものであります。 昭和42年10月14日 社団法人横浜市観光協会 鉄道発祥記念碑建設特別委員会 裏面には時刻表・料金表のほかに、鉄道寮の規則が書かれているが、よく読むとこんな面白いことも。 時刻より15分前にステイションに来り切手買入其他の手都合を為すべし。 此表示の時刻を違はざるやうには請合かね。 手廻荷物は総て姓名か又は目印を記すべし。 犬一疋に付片道賃銭25五銭を払うべし。 吸煙車の外は煙草を許るさず。 これは地味なモニュメントを紹介するパネルで、この存在を知っている人は、そう多くはないと思う。 JRもやっと、鉄道関連の小さなモニュメントを紹介する気になったようだ。 開業当時の駅長室跡。 野毛へ向かう古い方の地下道出入り口そばにある。 開業当時の駅長室はこの辺にあった。 以前、鉄道創業の地記念碑はここに建っていたのだが、地下道周辺を整備する際に移転させている。 その元の位置を示すのが原標だ。 こんな小さなものだから、なかなか探せないと思うが、歩道の真ん中に埋め込まれている。 いままでほとんど見向きもされなかったであろう原標点。 よく見ると「鉄道発祥の地記念碑跡地」とある。横浜には“もののはじめ”を記念する碑があちこちにあるけれども、その記念碑の跡地を記念するものって、珍しいんじゃない。 とまあ、「富貴楼・お倉」ゆかりの立ち食い蕎麦屋の話から、なんだか鉄道ネタになってしまったが、まもなく鉄道記念日(10月14日)なので、ついついわき道にそれてしまった。 最後に初代横浜駅(現・桜木町駅)の写真をリンクしておきます。 こちら よ~く見ると、当時のデザインの一部が、現在の駅舎の中に採用されています。 桜木町駅を利用する際には、ちょっと気にしていただけたらと思います。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
ビンの形が独特なんですね。
サーカスが来たなんて、知りませんでした。
ありがとうございます。
たぶん、ミルクスタンドだったと思うのですが、
ホットドッグが大好きでした。
キャベツの千切りの入ったシンプルなもの。
チンチン電車はギリギリの記憶
子供で25円だったような。。(あやふや)
サーカスが来てたこともありましたね。
あー、なつかしいw
壁を見たのですが気がつかなかった!
もう一回、確認してきます。
ありがとうございました。
確かにお店の入り口のところに掲載されている由来もその通りなのですけれど、壁に、Blogそのものが、掲載されているんですよ!
すごい!
これからは軽く蕎麦でも・・・とは言えませんよ。
ここの歴史を思い出しながら食していただければと思います。
我が家からほど近いエリアのことで、うっすらと知ったつもりになっていたことがいくつもクリアになりまして、感謝いたします。
そして、久しぶりに川村屋に行ってみたくなりました。 普段は「桜木町の立ち食いソバ屋の前でね♪」なんて待ち合わせの目印にしか使ってませんが…
蕎麦=Brownnoodle
うどん=Whitenoodle
そんな表示には気づきません。
よく観察していますね。
今度行ったら探してみましょう。
ジャズの前に食べるには丁度いいですね。
終わった後は「叶家」かな。
むかしだったら「一力」でしたけど。
「エドモンド・モレル」のレリーフも転々と動かされていますね。
今じゃあコインロッカーの傍。
可哀そうです。
上海路の「富貴楼」ですよね。
以前、ご主人に聞いたことがありますが、
まったく関係ないそうです。
でしょうね。
そういえば最近、あの店に行ってませんなぁ。
蕎麦=Brownnoodle
うどん=Whitenoodle と訳された張り紙有りましたよね?
ジャズの前に小腹をつくるときですね。
おつゆに自信ありとありますが、由緒ある店とは知りませんでした。
今度はもうちょっとありがたくいただこうかなw
今の「みなとみらい地区」が出来る前はJRのホームから海を眺めると「三菱ドック」のクレーンしか目立たなかったのにね・・・・
あの頃の方が横浜ぽい気がしますけどね
由緒正しい「そば屋」だったんですね
それにしても富貴楼というから上海路のあちらかと思いました。