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ここは広東道に面した萬珍楼の建物。 右側には駐車場を挟んで萬珍楼の本社と点心舗が、左側には同店の駐車場が、そして道路を挟んだ斜め向かい側には萬珍楼本店がある。 このエリアには萬珍楼の施設が集中しているのだが、今回取り上げるのは冒頭に掲げた写真の場所。このビルが建つ前の昭和30年(1955)頃、ここには「大成運輸」という会社があった。(見て記憶しているわけではなく、当時の地図から分かったこと) その後、昭和37年(1962)頃から41年(1966)頃までは「大成運輸」のほかに「井上貿易商会」と「東亜無線」という会社も入居していた。 以下、手持ちの地図からこの場所に存在した会社やお店などの変遷をたどってみよう。 ◆昭和47年(1972) ここは明記ビルと記載されるようになっているので、現在の建物はおそらく昭和40年代に新しく建築されたものと思われる。 そのビルの1階にクラブ「ジュンコ」と中華「龍園」が登場する。それまでここにあった会社は、なんとなく港関連の会社だったような気がするのだが、おそらくこの時代に港湾作業の仕組みが、沖仲士などの人力による荷役からコンテナに変わっていったのと軌を一にしているのではないだろうか。 ◆昭和49年(1974) 1階にスナック「ビークル」という店も見ることができる。 ◆昭和53年(1978) 「ジュンコ」に代わって「銀寿司」が登場(1981年頃まで)。 ◆昭和56年(1981) 萬珍楼菓子工場がここに造られたようだ。 その後、平成2年(1990)までの地図がないのでここがどのように変遷していったのかは不明であるが、平成3年(1991)になると、萬珍楼の総務分室の記載が。 ◆平成13年(2001) 初めて萬珍楼の飲食店が登場する。「萬珍楼麺舗」である。 ※2011.09.30陸羽さんからの指摘により追記 〈1996年前後に、萬珍樓薬粥舗その後に萬珍食坊がありました〉 ◆平成17年(2005) 店舗がなくなり、代わって「社員食堂」が現れる。 それが、これである。 ![]() 萬珍楼社員食堂。 「まかない」が進化した形といえるだろう。もちろん社員のための食堂だから、我々が入ってランチを食べることはできない。 でも、入ってみたい…… どんなものが出ているんだろうか、ものすごく興味があるんだけど… そうそう、社員食堂といえば、思い出すのは今話題のあの会社。 今から20年近く前だったろうか、電気料金の支払いが滞って電気を止められたことがある。翌日の昼、未納金を支払うため東京電力神奈川支店の1階、お客様窓口まで出かけて行ったのだが、そのとき、ふとしたことから地下に社員食堂があることを知った。 階段を下りていく人たちをしばらく見ていると、東電の制服や名札以外の部外者がかなり混じっていることが分かってきた。 「これは誰でも入れるんだな」と直感。丸全昭和の制服を着た男性のあとについて流れの中に身を投じた。 地下におりると、そこには広大な社員食堂が広がっていた。初めて潜入した他社の社員食堂なので、定食を入手するまでの仕組みがよく分からなかったのだが、食券を買う人々の列に並び、後方から皆さんの買い方を観察して無事「定食の食券」を購入することができた。 その料金、いくらだったと思います? 300円! 社食の料理だから「たかが知れているだろう」と思われるかもしれないが、これがなかなかまともな定食だったのである。 漬物やサラダ用ドレッシングは、専用のテーブルに複数用意されていた。 そして肝心の料理のお味はというと、第2港湾合同庁舎8階の食堂の日替わり定食(380円)よりグレードが高いのだった。 それから私は毎日のように、東京電力の社員食堂に通った。そして2か月ほど経ったころ、日替わり定食に関して、あることに気がついた。 それは、この間に「同じメニューが出ていない」ということだった。その後は行く回数が減ってしまったので、詳しいことは分からないが、おそらく数か月間、毎日違った料理が出ていたに違いない。 社員を飽きさせないよう、超ロングサイクルで献立が考えられているようだった。 しかも300円! いや、もしかしたら社員は250円とか200円で食べていたのではないだろうか。何回か見ていると、一般部外者とは違った購入の仕方をしていたので、おそらく間違いないと思う。 こんなにいい社員食堂だったのだが、残念ながら9.11以降、ガードが厳しくなって食べに行くことができなくなってしまった。 残念なことであるが、それまでの2,3年間はちょくちょく利用させていただいたので、とりあえず東電に感謝しておきたい。 それにしても、今回の原発事故後も、あの値段で社食を継続しているのだろうか…… ![]() |
そんなにお得でおいしかったんですね。
数ヶ月違う献立というのは、
ベテランの主婦でも難しいですよ。
お給料もよさそうだけど
ランチもいいのかぁ・・・
くぅぅ・・・
元気になられて良かったですね。
またおいしいものが食べられますね:)
たしか港郵便局にも社員食堂がありましたが、
あそこは入りにくかったですです。
何度かトライしたけど、難しかった。
あと、加賀町警察署。
ここは留置されれば同じメシが食えるかもしれませんが、
ちょっとねぇ…
萬珍さんは従業員が100の単位ですからね。
町内一の店舗ですから、そんな大勢に厨房やバックヤードでショボイ昼食を摂らせるわけにはいかないでしょう。
聘珍樓や重慶飯店なんかも同じでしょうかね。
社員の食事を任された調理師って、
どんな人なのかな。
日産自動車の社食、入ってみたいです。
三菱重工や東京瓦斯の食堂で宴会をやったことはあります。
でもあれは知人が一緒だったからかな。
NTTには多くの方が入ったと聞きますが、
やはり今は無理のよう。
県警、検察庁もダメですね。
こうして振り返ってみると、
入っていない社食が残っています。
メニューを知りたいので利用してみたいですね
TEPCOの300円社食も!
とにかく、ご飯はピカイチでした。
食べたのは東京電力の社食でして、
聘珍樓はあるのかどうか不明です。
メーカーの社食はあちこちで食べていますが、
中華料理店は興味ありますね。
たしかに農林省の食堂はご飯がウマイです。
とくに霞が関の庁舎。
ウマイ米をおさえているんでしょうね。
> 初めて萬珍楼の飲食店が登場する。「萬珍楼麺舗」である。
1996年前後に、萬珍樓薬粥舗その後に萬珍食坊がありましたので、
萬珍楼麺舗が初めてというわけではないです。
どの店も今ひとつうまくいかないようで、いつのまにか、社員食堂
になってしまった。あの食堂の一角でいいから、一般に公開してく
れたらいいのになあ。
私も何か抜けていると思っていたら、
萬珍樓薬粥舗、萬珍食坊でしたか。
あの社食、通常の料金を払うから、
同じものを食べさせてほしいなぁ。