![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/2e/075c364c3212bbdbdb553e9d6465a6e7.jpg)
石川町のこんな場所にも銭湯があったんですね。昭和31年の地図を眺めていて発見しました。名前は「石川温泉」。天然温泉ではないと思います。先日、地元の古老に聞いたら、燃料屋だったので銭湯をやった、そんなお話を伺いました。地図を見ると手前に「佐山石炭KK」というのがありますので、このことなんだろうと思います。 位置関係を確認しておきましょう。左に中村川が見えます。前の記事で書いた郵便受けのあるフェンスのところです。その傍に「金米堂」。今もある和菓子屋さんです。 右には大丸谷坂。これを登っていくとイタリア山庭園に行けます。かつて、この坂の周辺はチャブヤ街でした。その名残が黄色で囲んだホテル群なのかもしれません。 坂の下には地蔵堂。これは関東大震災で亡くなった方々を慰霊しているもので、今も階段の中腹に建っています。 そして地図の下に見える「亀の橋郵便局」。現在は「石川町駅前郵便局」となっていますが、多分、根岸線が入ってきて石川町駅ができたときに、名称変更したんでしょうね。 さて、そんな位置関係を確認できたら、次は「石川温泉」の現在の姿を見てみましょう。頼りになるのは、やっぱりグーグルストリートビューです。 この辺のようですね。「銭湯の跡地は駐車場かマンション」という定説のとおりです。 「石川温泉」がいつまで存続していたのか不明ですが、住宅地図を丹念に追っていけば、大体のことは分かるはず。でも、今はなかなか図書館に行けないからなぁ……。 ![]() |
昔の記憶をありがとうございます。
石川温泉には湯船が3つあったんですねぇ。
霧笛楼のそばというのは、元町温泉ですね。
https://blog.goo.ne.jp/chuka-champ/e/be5d3f932e5ca08a6b978ede6d301ad2
昔は銭湯の名前に温泉とつけるのが多かったようです。
「五十嵐アパート」、気になります。
昭和40年代の地図を見て確認したいです。
ホテルをマーキングしたのは黄色ですね。
失礼しました。
また、ホテル第一のあたりは石川温泉廃業前から町民会館になっていました。
祖父母の家がこの石川温泉のすぐそば(地図内に祖父の名前があります)で、幼少の頃、行ったことがある者です。
「穂苅さん(地主の名前)のお風呂」とみんなが呼んでいて正式名称を知らないので、探索していたらこちらに辿り着きました。
跡地に立つ穂苅ビルが1972年竣工ですが、風呂屋の取り壊し直後に建てられた記憶があります。
穂苅さんのお風呂もとい石川温泉の内部は、ご指摘の通り、温泉ではありませんでした。大きな浴槽が三つあって、二つは普通のお湯(湯温に差があったような…)、ひとつは白濁した薬湯で、祖母と婆様連中は気持ちよさそうに使っていたけど、熱くて入れなかったのを覚えています。
当時は、その近辺一帯内風呂がなく、祖父母宅も石川温泉廃業後に内風呂を作ったものの、祖母は「内風呂はあったまらない」と霧笛楼のそばにあった銭湯まで毎日出かけていました(山下温泉のほうが近いのに湯温が低いから行かなかった)。
石川温泉は、空襲で焼け野原になった後に地元民がお金を出し合って建てた、とも聞きましたが、真偽の程は不明です。
地図上ピンクの線でマーキングされた近くのホテルは「五十嵐アパート」という名前のシックな石造りの集合住宅でしたが、1970年代末頃に取り壊されて駐車場になっていた記憶があります。隣が牛乳屋だったし、まさか、あいまい宿の跡とは思いませんでした。
いかんせん、祖父母も今は亡く、幼児の記憶では埒があかない話しかできませんが、思い出すままに申し上げると、こんなところです。
>イサさん
明日買いに行こう。
充電器、ブルーシート、水タンク・・・
こう言う時に日頃の備えが必要と思いました。
何の備えもしてませんので 🙇♀️
この坂にあったオリエンタルホテルと、
中華街にあったオリエンタルホテルには、
とうとう泊まらずじまいでした。
残念です。
坂の途中にあったのは、
かすかに記憶が。
30年くらい前、ホテル建設の噂話が持ち上がって、
騒ぎになっていた記憶も。
小菅医院は古いんですねぇ。
銭湯のペンキ絵、タイルの金魚、体重計、懐かしいです。
私は銭湯のあとの一杯が楽しみでした。
行く時は山手通りからでしたから、大丸谷坂とは思いませんでした。
酔華さん、ラブホ話しですみませんでした。🙇♀️
なぜか?彼しか居なくて家族に会った事が無いです。
不思議だなぁと思いました。もう少し上がると、もう一人同級生が居たのですが、和風の家で、彼は頑なに家の中に入れてくれませんでした。今思うと成るへそです。笑)
普通の家と作りが違うので、不思議な家だなぁ~~~と思いながら遊んでました。今、思えばホテルの跡地を家にしてたのかなぁ?と納得しました。
営業はして無かったと思います。夜は営業してたのかなぁ?ゴシゴシ
針金(何と呼ぶかわからない)でぶ
っ刺してあけたり、下駄箱の木札の
数字にこだわったり、上がりしなに
男湯の父親に、「今から上がるよー
」って仕切り越しに声かけたりして
ました。
コロナが収束したら、伊勢佐木の
ジャック&ベティで映画を見てから
利世館でひとっ風呂というのを
やってみるのが今の夢です。
歩いたので、31年の地図と、ストリート
ビューを見比べて楽しませていただき
ました。小菅医院さんて古くからあった
んだなーとか。
銭湯シリーズを読みながら、あそこの
銭湯どうしたかなぁと検索して愕然。
あそこもここも閉館!が多すぎて。
あのペンキ絵、タイルの金魚、♨️マーク
の刻まれた蛇口、ケロリン桶、古びた
体重計、髪を乾かすオカマ…
惜しい。
今ある銭湯が地図から消えてしまう前に
セルロイドの石鹸箱とタオルを常に持ち
歩いて入りまくろうと誓いました。