絶食は足かけ4日の65時間。 その間、テレビのグルメ番組や新聞の料理レシピ記事などを見て、「あ~腹減ったぁ、早く食いた~い」と、ずっと思い続けていた。 〈最初に出る病院食は何かなぁ…〉 〈退院したらその足で中華街に行ってランチを食うかなぁ…〉 そんなことばかり考えていたのである。 そして4日目。食べ物の妄想にとらわれた日々がやっと終わり、絶食開け初めての入院食が運ばれてきた。 65時間ぶりに食べた食事が冒頭の写真である。 メニューは全粥、麻婆豆腐、春雨と野菜の煮物、白菜の煮物、缶詰のみかん、お茶。 いや~美味しかったぁ~ しかもオカズが麻婆豆腐や春雨! 中華メニューや食材というのが、なんとなく中華街ランチに近い感じがして、思わず…… 麻婆豆腐はさすが病院食。辛い香辛料などは皆無で、この料理の特徴である麻辣感はゼロだ。甘さすら感じる麻婆豆腐! ひき肉に豆腐という胃腸にやさしい具材と穏やかな味付けで、中華街の激辛麻婆豆腐にも負けない一品だった。 全粥は柔らか~~くて、味は無し! 「安記」や「謝甜記」のお粥とは比べ物にならないのは当然だが、ここは梅干しの1個でもほしいところ。 それにしても、最初の入院食が「麻婆豆腐定食もどき」だったのは、なんだか中華街ランチ探偵団としては因縁めいたものを感じさせれらた。 こちらは夕食。 久々の和食である。 そして朝食。 一汁一菜だ。 なんだか、物足りないなぁ……と思うでしょ。 さて、こんな感じで65時間の絶食と、そのあとに続く病院食を経験したわけであるが、ベッドに横たわって思いを巡らせていたのは、太平洋戦争中に飢餓地獄に陥ったメレヨン島の兵隊たちのことだった。 メレヨン島というのはパラオ諸島とマリアナ諸島の間に位置するサンゴ礁の島で、近隣の島から500キロ以上も離れた絶海の孤島である。ここに終戦1年前の1944年、日本の守備隊として6000人以上の将兵が送り込まれたのだが、上陸から数日後には米軍機による空襲があり、荷揚げした食糧のほとんどが灰燼に帰してしまった。 そのため潜水艦を使って食糧の補給が1回だけあったが、その分量などたかが知れている。 やがて南洋方面の制海権・制空権を米軍に奪われ、守備隊に対する食糧補給は途絶えてしまった。6000人の将兵は祖国から見捨てられてしまったのである。 以後、彼らは自給するしかなくなってしまうわけだが、漁具がないため魚の捕獲量は期待するほどではなかったし、島がサンゴ礁ということもあってカボチャの収穫も豊作というわけにはいかなかった。 わずかな食糧を倉庫に保管し、兵たちには少しずつ配給していったのだが、やがてそれも底をついてくるとネズミやトカゲなどが彼らの食べ物となった。 そのうちこれら小動物も食い尽くしてしまい、兵隊たちは栄養失調でバタバタと死んでいった。 空襲は、彼らが上陸した数日後に1回あったものの、その後は攻撃目標がもっと北のグァム島や日本本土に移っていったため、メレヨン島はアメリカからも見捨てられた存在になってしまい、終戦までの間に75%以上が餓死してしまったという。 戦後、生還した人たちの人数を階級別に調査している。 それによると兵隊18%、下士官36%、将校69%と、階級が上の者ほど生還率が高くなっているのである。 体力のある者が生き残ったというのならそれはそれで仕方のないことなのだが、実は単なる食糧不足による飢餓だっただけではなく、将校の絶対的権力を背景とした食糧の不平等配分による兵の飢餓という、非人間的な行為がメレヨン島守備隊餓死の真相だったのである。 こんなことを思い出しながら私は空腹を抱えていたのだが、自分の「飢え」なんて彼らが味わった〈先の見えない絶望的な飢餓〉とはほど遠い楽なもの。 〈数日後には食事ができるという希望のある飢餓〉だったのだから。 シベリアからの生還者の話もすごい。 下痢を垂らしながら死んでいった戦友の便の中から、消化されていない籾殻を拾い集め、それを洗って食べた……なんて体験談が出ている。 極寒の地で飢えに苦しんでいた抑留者のお話は、最近の食べ放題、大食い、早食いなどといった、身体や食料を傷めつけるような食べ方に警鐘を鳴らしている。 自戒しよう。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
現代を生き、飢餓への不安も無く、ちょっとがんばれば
世界のグルメが食べられる・・・それは、ほんとうは
世界基準で言えば、今でも奇跡的なことなのかもしれません
今なお飢えている子供たちがたくさんいることを忘れず
食べられることに、食べ物に、自然に、感謝します
良いお話を、ありがとうございます
ところで、おかげんはいかがでしょう?少しは楽になられました?
どうぞおだいじになさってください
こうしてブログの更新が拝見できて、とても嬉しいです
食や健康、色々な考え方がありますが、いつでも笑顔でいられたらと思います。
何か妙に焦げ臭い匂いがして、腹が減っていても、あまり美味くなかった。
カラスが柿の実を食べて吐き出して乾燥した皮が、木にへばりついているのが、甘くて甘くて、大事に頂きました。
いま、地球上の30%ぐらいの人間が飢餓に苦しんでいるそうです。
物が食べられるっていうだけでも感謝しなくちゃね。
たとえまずいランチでも…
とは思えない、やっぱり美味しいランチを食べたいよ。
この2冊の本に書かれているのは、
すさまじい話です。
あの地獄から生還した体験者はごく僅かですが、
それも年とともに亡くなって、
いまじゃあ、どれだけ生き残っているのか…
早めにこういう体験記が残されていてよかったです。
私も昔、自転車で貧乏旅行をしているとき、
食べ物が一切なくなり、道端に落ちていたミカンの皮を食べて飢えをしのいだことがあります。
でもトンボは…ないですよ。
そりゃぁ点滴だけだと、おなか空きますよ~~
ゆっくり体調を整えて、中華街レポートを再開して下さい
緊急入院とは、ただ事では無いですね。
私も数年前、急に耳が聴こえなくなって緊急入院しましたが、意識があってのそれはまだいいですね。意識が無い状態でのそれはとても怖いですね(ただ、そういう状態になってしまうと、もう本人はわからないのでしょうけれど)。戦争での飢餓状況は、意識がある中で生きるという欲望に反して死ぬまで継続されるものなのでしょうから、余計、耐え難いですね。
最近の幼児虐待などとも通じる恐ろしさを感じます。
食べることは本当に奥深いです。
飽食と言われる時代、食べることに対して感慨を持ち続けるのは至難ですが、生物にとって一番大事なことだと改めて意識しました。