はぐれざるは信頼関係を作れない。
はぐれざるはいつも遠慮をして生きている。
こんなことを要求したら図々しく思われるのではないかとおびえている。
そして健常ざるは、何でこんなにあけすけなんだろうと、うらやましく思い、かつ憎む。
自分は周囲の悪意を恐れてそんなあけすけな自己開示はしないし、正当な要求ですら、恐れて頼めないからだ。
はぐれざるに近づいてくる健常ざるは、優しいさるか小ずるいさる。
はぐれざるは、優しいさるを傷つけ、小ずるいさるに利用される。
優しいさるは、はぐれざるのことが大好きだから、はぐれざるを図々しく利用する小ずるいさるを見て激怒し、はぐれざるのために涙する。
ありがとう、優しいおさるさん。
はぐれざるの敵は、はぐれざるの本性もわからないで、熱心に群れに戻そうとするお節介な飼育員。
(ここで飼育員と書いたのは訳がある。読者よ、悟れ。)
無理解で熱心な支援者ほど、はぐれざるにとって、ありがた迷惑なものはないのだ。
さて、はぐれざるの仲間には、独特のコミュニケーションの仕方がある。
まずは相手の運動法則を尊重する。
相手の運動法則がわからないうちは、手を出さない。
そして相手が無理解で熱心な支援者にいじくられた痛みから張った、極度につ広いパーソナルスペースと、いびつなプロトコールを尊重して、無理には近づかない。
これはメンタル疾患者にも言える言葉だ。
かつてメンタル疾患者は、根底にある基礎疾患や世界観を自己治癒しようとしてそれに失敗し、ありのままの自分を受け入れて、自分の道を歩み始めたところで、傲慢でお節介な飼育者にいじくられ、そして症状を発症するのだ。
それで極度に広いパーソナルスペースと、いびつなプロトコールで傲慢でお節介な飼育者を遠ざけ、はぐれざる仲間を探すのだ。
実はスキゾフレニアの予後の善し悪しは、治療者や支援者が、彼の極度に広いパーソナルスペースを理解し、いびつなプロトコールを受け入れるところにあるのだ。
そしてその奇妙な対人接触法の根底あるのが、彼の基礎疾患に由来するトラウマなのだ。