あの。
何か忘れていませんか?
人が神の被造物なら、社会は人の被造物。
あたかも聖書の神が、自分が作った人間たちが人間の持っている運動法則によって神を疎外したように、人間も、自分が作った社会が社会の持っている運動法則によって人間を疎外するという、意味不明な現象に惑わされていませんか?
神が人類を愛したように、人々も社会を愛しているのかもしれません。
愛しているから、神が人類のなすがままにしているがごとく、人も社会のなすがままにさせているのでしょうか?((笑):苦笑です)
バイブルのロジックでいえば、人間は神の被造物であるから、人をどのように扱ってもいいように。社会は人の被造物であるから、人は社会をどのように扱ってもいいのであります。
その特権を一部の「エリート」どもに任せておいて、いいのでしょうか?
例えばコロナ騒ぎ。
日本の全人口の何パーセントがこれにかかり、さらにそのうちの何パーセントが治り、またなくなったかの統計を、今現在わかっている範囲で、政府やその意を受けるメディアが「信頼すべき数字」を発表しましたか?
大本営発表ならぬ、メディアに騙されてはいけませんよ。
訴訟において、伝聞証拠というものは、証拠から排除されます。
別に我々は誰と裁判で争っているわけではありませんが、我々の心証はどこから来たものでしょう?
直接確認できるものですか? それともvia media(メディアを通して知りえたもの)ですか?
まずはそこら辺から、吟味をしなければなりません。
我々は、二十一世紀に生きる文明人ですよ?
文明人なら文明人らしく振舞わねばなりません。
おっと、指が過ぎたようです。
さて、
人体を甘く見てはなりません。
人間の体は、エイズウイルスですら、抗体を作るのですよ。
新型コロナウイルスの何たら検査ですら、抗体を科学的に検出するわけです。
わけのわからん薬より、人間の体の防御機能を信頼すべきなのかもしれませんね。
我々は。
読者諸賢に置かれては、またИкэмотоの与太話が始まったと笑われるに違いありません。
でも。それでいいのだ。