周囲の期待に完璧に応えないと、生きていく資格がないと思い込んでいた。
こんな考え方であるから、完全主義者にならざるを得ない。
そして私は自分にも完璧を要求し、周りにも完璧であることを要求した。
自分が完璧でないことに怒り、周囲が完璧でないことを怒る。
つまり、自分もNG、他人もNGという構えである。
その構えの持ち主は、NGである自分を抹殺してみたり、NGでない周囲を抹殺しようとする。
すなわち、自殺や無差別大量殺人へとつながる心理である。
が、実は自分が完璧ではなくても、周囲の温かさによって、ここまで生きてきた自分がいる。
完璧でなくても生きていける。
そのために周囲の助力があり、自分も周りを生かすために微力ながらも力を貸してきた。
その時に、完璧でないから救いあう救いの関係がクローズアップされ、完璧でない自分たちを許しあう許しの関係がクローズアップされてくる。
その救いあう関係や許しあう関係が自明でなくなるのが、妄想の根底にある何かなのであろう。
とはいえ、その関係に気づいたところで、いきなり受け入れて実行できるものではないのであるが。
以上、いけもと。