子供の頃から犯意や害意なき対人トラブルに悩まされてきた人たちにとって、精神疾患や、発達障害は、ある意味、免責ツールになるのです。
その理屈はこうです。
1.私は人と接する上において、悪意や害意を以て人と接するようなことはなかった。
2.なのに、私は人に糾弾される。悪意や害意を以て人と接しているわけじゃないのに、つらいよ。
3.そうか、俺は悪くなかった。悪いのは精神疾患やパーソナリティ障害、そして発達障害や境界知能のせいだったんだ!
この免責は救いです。
共感してください。
自分が犯意や害意を以て人と接しているわけではないのに、人を傷つける。
そしてそれ故、仲間から排斥される。
その心の痛みを和らげる物が、メンタル疾患の診断名なんです。
他の人はわかりませんが、私の場合はそうでした。
おそらく私は境界知能だと思う。
それ故、いらん苦しみを得てきたのだと思う。
アヘンでなくてもいい。
苦しみの理由がわかれば、いやわかった気になれば救われる。
それをわかってくださいね。
ごめんなさい。
でも不思議です。
心の痛みは額と首を痛くする。
まあ、モニターの見過ぎかもしれませんが。
無意味な苦しみはしんどい。
でも、自分に由来する原因じゃないとわかれば救われる。
その人情の機微を共感してください。
そんなわけです。
以上、管内おおやぐち二丁目でいけもと。