観念要素の更改。
天風会のテクニカルタームである。
今日(日付が変わったあとだから昨日)、ヅッキーさんから電話がかかってきて、おしゃべりをした。
終わってしばらくたったあと、私の観念はどこかおかしい。
なにかものの見方に、好戦的で負け犬的なところがある。
そんなふうに気がついたのだ。
天台流の十界互具の考え方から行けば、好戦的で負け犬なのは、阿修羅だ。
私は生きながら修羅の世界にいたのか。
そう思って愕然としたのだ。
修羅界といえば、三悪道四悪趣の一つだし、修羅といえば、神々の帝王帝釈天の敵。
それでは、諸天善神の恩頼も得られるわけがない。
なぜなら、己義(己の邪義)に執着して、それで周りを責め苛んでいたのである。
私がどんな己義に執着して、どんなふうに周りを責め苛んでいたかは、書きたくない。
それは私の問題だから。
己義に執着して、周りを責め苛めば、周りの人たちが敵に回る。
周りは全て敵。
そんな考え方をして、生きるのが楽しいわけはない。
私が間違っていたのだ。
そう気がついたのなら、周りはみんな敵。
そんな観念を更改すればいい。
生きることは楽しいことだと教えてくれたのが、彼女さんとのラインチャットなら、あなたの考え方は歪んでいるよと教えてくれたのが、ヅッキーさんとの電話だ。
そんな出来事が、昨日あったのである。
以上である。