今日のミニチュアベアは、身長4cm。
ダーリンの手の上にちょこんと座ってます。
ちいちゃいね~。
つぶらな瞳でうるうると見つめてきます。
阪神大震災からちょうど12年がたちました。
12年前の今朝、私は神戸市灘区の自宅にいました。
ゴーッともドーンともつかない音で目が覚めると同時に激しい揺れ。
そりゃもう、信じられないぐらいの揺れ。
「なに、これ?なに、これ?戦争?地球の爆発?世界の終わり?」
何がなんだかわからないままに身動きもとれずに揺らされ続け、
家はぎっしぎしと鳴り、部屋の角を見ると天井が平行四辺形になっている!
バリバリバリ~っと外でものすごい音。
「ああ、死ぬんだ~」と泣きべそをかいているうちに揺れが止まった。
隣の部屋から父母の話し声が。
「六甲山が爆発したのかしら・・・」
ヤバイ!!
当時の彼氏は六甲山の裏側に住んでいたので、急いで電話をかけた。
つながった。
生きてる。
よかった。
山の向こうはこちら側ほどは揺れなかった様子。
とりあえず電話を切って起きようとしたら激しい余震。
こわい、こわい、こわい。
今でもこわい。思い出してもこわい。
避難しようとか机の下に隠れようとか、思いつきもしなかった。
ただただこわかった。
ひとしきり余震が終わって少し落ち着いてきてやっと
それが地震だったということに気付いた。
とりあえず新築だった当時の我が家は無事だったけれど、
家の中は食器が割れたりタンスが動いたり戸棚のものが落ちたりで散乱。
外はブロック塀がすっかり倒れていた。
この分だと街はどんなことになっとるのじゃ?と外に出て愕然。
た、大変だ・・・・・
高架になってるはずの線路が地面に。
駅の2階の屋根が1階に。
すっかりくずれてもうもうと土煙をあげる家。
途中の階がすっかりなくなってしまっているマンション。
火事。
鳴りっぱなしの目覚まし時計。
ボロボロの寝巻きのままの人々。
実は、この後のことはあまり覚えていない。
水と食料の確保の為に一日中うろうろと歩き回る日々が続いた。
スーパーのお弁当(前日の残りだろう)を何時間も並んで買ったら
腐っていたりした。(それでも食べた)
援助物資なんてものがもらえるとは全然知りもしなかった。
庭に穴を掘ってブルーシートで囲ってトイレを作った。
ブロックでかまどを作って、ゴミを燃やしてご飯を炊いて缶詰を食べた。
街は負のエネルギーで満ち溢れ、
私の(私達の)精神は少しずつその暗闇に侵されていった気がする。
たくさんの人が死んだ街は、どこもかしこも死の臭いがした。
泣かなかったけど、泣きたかった。
無気力、脱力感。
ボランティアなんてこれっぽっちもやろうとは思わなかった。
ひもじかった。
何週間もお風呂に入れなかった。
それが、私の「震災体験」
何かを決定的に失ってしまったような気もするし、
何ひとつ変わっていないような気もする。
ひとつ言えることは、次に大きな地震が来たら、
それが地震だってことが分かるんじゃないかな。