帰り道、十円玉くらいある巨大な月が、少し腫れたような顔で工事現場の上にでていた。
写真に撮ると小さく萎んで見えて全く生気がないけど。
実際に目にするものにしか月は自信の内情を明かさないようだ。
月の手前には団地立て替えの基礎工事の現場が展開している。
今年の始めまでは一人暮らしのお年寄りが沢山住んでいた。
たぶん都営住宅なのだろう。
塗装が剥がれ錆のついたドアからお年寄りたちが顔を出し、ご近所同士で世間話をしていた様子や、小さな買物袋を下げたて杖をつきながら帰宅する様が思い出された。
錆びたドアの内側には小さくても静かな生活があり、自由の匂いがしお年寄りたちはどこか楽しげに見えた。
団地の向かいには緑豊かな公園が広がっていて、春には様々な種類の桜が見事に咲いた。
だがお年寄りたちは今年の桜を見る前に、一人また一人と次々と姿を消した。
どこに移り住んだのか、空き家になったドアには目印のように二枚の板で大きなバッテンが打ち付けられた。
ひと月ほどの間に数軒の建物が廃墟となった。
取り壊し工事は数ヶ月続いた。
容赦なく砂埃を舞あげる風と重機の物凄い音に、私は通勤路を大きく迂回させた。
だからこの半年、通っていない道だった。
広大な敷地の現場には、大きな穴が幾つも掘られコンクリートが流し込まれその中心から先がねじれひきちぎられたような鉄柱が何本も顔をだしている。
夕景のコントラストが強まる中では、ちぎれた神経や砕かれた骨の端が突き出しているようにも見えた。
長年住み慣れた場所で生きてきたお年寄りたちのひきちぎられた暮らしの残像のように思えた。
クレーンは次にこの土地で暮らす若い世代のために利用計画の遂行に余念がないようだ。
基礎工事の土台部分が埋められてしまえば忘れ去られる土地の記憶なのか。
月は喜んでこの状況をなめ回している。
こころつぶ