りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

差出人不明??

2020-01-02 06:13:58 |  日 記 

 

   あけましておめでとうございます

   本年もよろしくおねがいします

 

 

毎年いただく年賀状。

年賀状の地位が失墜しているとか、

挨拶はたいていメールとか、そういうのは分かるんだけど、

年賀状は年賀状でやっぱり大事にしたいなぁ、

と思うのには、昔ながらに馴染んだメディアであるとか、

懐古趣味にひたるだとか、そういうのともちょっと違う理由があるのだけど、

手で文字を書くことから長らく遠ざかっている人にだって、

これはご理解していただけるんじゃないか?という理由のひとつに

その人が書く「字」のリアリティというのがあって。

筆跡のことを「手」と呼ぶくらいなのだから、

人の「手」のリアリティと言ってもよいとも思う。

もうどうにも避けがたく、否定しがたいリアリティが「字」にはある。

そう思うのですよ。

 

本当にめずらしく。。。というか、

これは過去を振り返ってもなかったことだと気付いたので、

僕にしても人生で「初めて」のことなのだけど、

「差出人不明」の年賀状が届いた。

「初めて」なので、1通だけでも大事件なのだが、

それが2通もあるのでかなりびっくりしている。

2通が2通とも、僕宛。

びっくりすると同時に、「あぁ」と得心することもある。

 

1通は、これはどうにも間違いなく、

ケアレスミスでご自分の名前を書き忘れたのだ、と思われる節がある。

っていうか、あの文面、この筆跡から察するに、

慌てん坊でそそっかしい、Fさんからの年賀状と思って、

まず間違いがない!

内容もさることながら、まったく筆跡はその人を裏切らないものである。

 

そして、もう1通は。。。

「書かない」という選択でお出しになられたのではないかと。

気遣ってくれて、本当にありがとう。

僕はともかく、君の方は?

 

名乗らなくても届くし、気持ちも誤解なく伝わる。

なんというか、特別になにかしなくても、

伝えるということに関してだけ言うのであれば、

「文」よりも「字」の、「手」のリアリティってすごいなぁと。

 

してみると、「差出人不明」っていうのは、結局はなかったことになるのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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