りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

狩野永徳筆 安土城図屏風 想像屏風風 姫路城図

2023-11-06 04:18:52 |  Angelique
狩野永徳筆 安土城図屏風 想像屏風風 姫路城図

あんまり長い作品名なので、これを覚えることに意義を感じないが、失われた「安土城図屏風」を想像するというきっかけには十分過ぎる眺望。
なんとも言えない仄かな色味を帯びた、朝の「姫路城図」。「姫路城」とは、こんなに雄大な姿をしていたのか?と、新鮮に驚く。ひとつの歴史的建造物であり、すでにアイコン化してしまっている「姫路城」。だが、「屏風」の中でそびえ立つ「姫路城」は今なお現役の城のようにも見える。

と言っても、写真ではあるので、狩野永徳の視線と同じ。。。という風にはちょっと見えない(^o^;)
それで「想像屏風風」という、大真面目に気弱なタイトルになっているのかな?と(^o^;)
狩野永徳の視線は、どんな風にも写真での再現は不可能だろうと。
いくつかの視点をフラットにつなげていくものの見方は、絵描きならでは見方のはずで、実は写真が不得手とするところだろう。
とても正確な絵を描く狩野永徳だが、それは完璧に景色を写し取るというよりは、普通では立てない場所から、言うなれば、鳥瞰的想像力の視線でもって描き上げることになるだろうから、どこか物理的な1点からの視線で描き切れるものではないのでは?

だが、じっと見ていると、杉本氏の「姫路城図」には「城」を撮影した写真作品として、別格の空気がある。
「屏風」というフォーマットに、まるで広い裾野を拡げる富士山のような「姫路城」。
見ていて、だんだん不思議な感じがしてきたのだが、ちょっと他では見覚えのないロケーションから撮影したのでは?と思えて、ふとした疑問が湧き上がってくる。
高いところから撮った?
どこから?
姫路城の周囲に、そんな高い場所があっただろうか?僕には覚えがない。
それとも、別に何かで足場を用意した、とか?
クレーン車か何かで撮影者ごと持ち上げた。。。とか?

思いつくのは、「仏の海」を撮影した時の様子。
驚くほど高い、いや、映像で見ているだけの僕が、本当に目まいしそうな高さの脚立の上にカメラを括りつけている。そこから平然と撮影している氏の姿を見て、あの高さが「仏の海」をどこか別次元からの眺めに見せていたのか!と思わず膝を打ってしまったのだが、正直、完成作品を見ただけでは、あの「高さ」は想像すらできなかった。
「姫路城図」は、それとはだいぶ趣きの違う作品なのだけど、カメラの位置については、「かなり高いところ」から撮ったのではないか?と、初見で思わせるところがある。
他に見る「姫路城」の写真とは、この高さの感覚がだいぶ違っている。
「仏の海」撮影時の映像を見ていたから、そういうことを思いついたのだけど、「姫路城図」は誰もが知っているであろう「姫路城」とは違う、誰も立ったことのない場所から撮られているように見えて、それが不思議だった。

この不思議な高さが「狩野永徳」を本歌取りしたと、氏をして言わしめる立脚点だと思うのだ。


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