りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

「イリーナさん」の「リサイタル」

2022-05-09 13:55:45 |  音 楽 
ものすごく久しぶりにショパンをたくさん聴いた。
音源だけなら、ショパンについては無茶苦茶たくさん持っている。
懐かしのホロヴィッツの音は、僕の幼い頃の衝動を強制的に励起させる。
学生の頃は、ポリーニの演奏こそが至高だと思っていて、その話でいろんな人と意気投合した、なんてことをあれこれ思い出したりする。
ちなみに、アシュケナージやブーニンだと、ちょっと僕には縁遠い感じ(^^ゞ
それはさておき。
山ほど持っている音源を聴き尽くさんばかりに鳴らした。
それではっきりと自覚したことがある。
ぞんざいには決して扱えない、たくさんの大切な思い出とはまったく別に、僕にとってのショパンは、もうずいぶん昔にイリーナ・メジューエワになっていたということを。
ショパンのいろんな音源を聴けば聴くほど、イリーナさんのリサイタルが恋しくなる。

若かりし頃の僕らが、若かりし頃のイリーナさんの演奏に接して、この人はものすごい高みにまでたどり着く人だ!と確信を抱いた春の日を、本当に懐かしく思い出す。
イリーナさんの思い出。
たくさん聴かせてもらったリサイタルの思い出、たくさん集めたCDのことや、そのたびに書いてもらったサインだとか、そういうことにはとどまらない。
ひとくちにはなかなか言えないけど。。。
毎年、必ず一度はほんの少し言葉を交わしたり、握手してもらっていたり。
あるいは特別な機会に、演奏上のある種の感覚について、思い切って尋ねてみた僕の質問に真摯に答えていただいたり。
記念の年には、飛行機に乗って魚津でのリサイタルにも行った。
ささやかなことが、もういっぱい、いっぱい積み重なって、イリーナさんは僕らにとって、もはや特別過ぎる存在になってしまっているのである。

毎年、近くの公民館でイリーナさんのリサイタルが開かれていたのだが、あの特別なリサイタルが今年も開催が見送られた。
20年続いた特別なリサイタルが、どうにもやるせないカタチで3年も中断していることになる。
ひょっとして、このまま、なくなってしまうのではないか?
こんなことを思ってしまって、急に悲しくなった。。。

イリーナさんのリサイタルには普通に行ける。
チケットを抑えて、交通機関を利用して、コンサートホールへと迎えばよいだけのこと。
だけど、あの公民館でのような演奏会というのは、立派なコンサートホールでは絶対に実現しない。
少なくとも、僕は他の場所で経験したことがない。
ほんとうにささやかな、しかしほんとうに特別なリサイタルを、毎年の恒例として当たり前に聴いてきた。
このこと自体がとても恵まれていたということを、今更ながらに思う。
そして、本来的な音楽の姿を言うのであれば、イリーナさんの言う「原風景」に限りなく近づいていくことこそが王道であろうと思うのだ。

イリーナさんの「原風景」のイメージなくしては飲み込めないほど、僕にとってのショパンはイリーナさんのピアノと不可分になってしまっていたのである。





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