それにしても眠れないのだ

日々の眠れない出来事を虚実織り交ぜて

それにしても「ひらめきについて語ったテレビ番組を観てひらめいた事」なのだ。

2025-01-13 16:09:58 | Weblog
 テレビ欄を見て最近存在を知った「いまからサイエンス」という、サイエンストピック深掘り番組を観た。その回は、“ひらめき”がテーマで、番組冒頭は加藤浩次を含むMC二人がひらめきについて自分の経験や知っている事について自信満々に話していた。で、その後研究者も同席して、ひらめきや記憶とかについて、現時点で分かっていると考えられている事をあれこれ紹介・説明があり、番組終盤はその研究者のターニングポイントについて時間が割かれていた。で、そこで、高校生で脳に興味を持ったけど、その頃の技術的に研究は難しいだろうと考えて、ちょっと違う分野の研究の道へ進んだけど、ある時一冊の本に出会い、そこに書かれている事が今の研究への鞍替えに繋がった・・・なんて事が語られた。・・・んだけど、そこで筆者は「テレビは、浅はかだなぁ」と思ったのだ。
 研究者の人が、その本を読んで考えついた事。それこそ“ひらめき”じゃない!この回のテーマである所の。筆者は即座にそれに気付いたけど、MC達はスルー。「そうだったんですねぇ」ってぬるい相づち程度。ま、MCはしょうがないか。どうせ毎回興味もない事を、スタッフが用意した台本に沿って、機械的に言動を発しているだけだろうだから。でも、ディレクターはダメよ。しっかり気付いて、ナレーションやテロップでしっかりフォローしないと。ま、結局、制作スタッフもやっている事に大して興味がなく、目の前に積まれた仕事だからって、何も考えずに右から左へ処理しているだけなんだろうなぁ。結果、お菓子をボリボリ食べながら観ている学のない筆者が簡単に気付いた事に、一切気が付かない。
 そういえば、以前観た番組で、ある大地震についてマグニチュードで強さを表したけど、数分後の別の大地震については強さを震度で表していた。え?二つを比較できないじゃん。単位を変える意味は何?ってか、不親切じゃね?・・・と思った事が思い出された。
 近年いわれる、若者のテレビ離れ。テレビ以外に面白い・楽しい事が増えたから、そっちに行ってしまったためだと言われているけど、要はテレビがつまらなくなったからだと思うのだ。やれコンプライアンスやルッキズムやなんだで表現の規制が強まったから、予算が減ったから面白いテレビが作れなくなった!・・・と、制作サイドの代弁をするかの如く愚痴っているお笑い芸人をちょいちょいテレビで見かけるけど、マンガだって同じような規制がかかっているし、苦情の対象にもなっている。でも、マンガは次々とヒット作が生まれている。結局は、やる気と才能でしょ。最高の食材が揃ってたって、料理人の腕がしょぼかったら、できあがる料理も質の低い物になる。冷蔵庫の雑多な残り物でだって、料理人の腕次第で、美味しい物はできるのだ。筆者的に、テレビがつまらなくなったのは、20年前、40年間とかのテレビの事は全く知らないけど、昔より制作スタッフの質が大きく低下したからだと思う。これは、筆者のような程度の低い者でも気付くようなダメな事(ま、程度の低いヤツが考えるダメなんて、本当にダメかどうか怪しいけど)を、平然とやらかしているという点での評価だ。とはいえ、それは今の人達だけが悪いなんて言わない。しっかり後進の育成をしてこなかったこれまでの人達の、落ち度でもあろう。で、質悪い上に、闇のスポンサーとのつながりで、嘘や大げさやゴリ押しを詰め込む。そりゃ、多くの日本人に沿わない物作っているのだから、見向きされないどころか嫌われてもしょうがない。で、その制作方針に対して、多くの人が「止めろ!」って言っているのに、一切無視して、自ら邁進しているのだから、視聴率低下、テレビが嫌われるのは当然の流れだと思うのだ。ま、あくまで筆者個人の考え方だけど。
 そんな感じで、たまたま観たテレビ番組から最近のテレビに関する思いまでを書き綴ったわけなんだけど、これはひらめきでも何でもない。ダラーっとテレビとかニュースを観ていたら、自然とひっかかって集まる物を並べただけだ。あ、でも、番組でリラックスする事がひらめきに繋がる事が多いとか行っていたから、やっぱこれもひらめきなのかも。とりあえず、テレビに対する考え方のマイルストーンとして記しておこう。
 で、違う事についてもうちょっとひらめきが欲しいと思っているので、ボーッとリラックスをしようと思っているので、もしかしたら寝るのが遅くなってしまうかもしれないのだ。
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それにしても「Adobeさんにフォント関連でお願いしたい事」なのだ。

2025-01-08 17:09:18 | Weblog
 パソコンでテキストをからめたデザインをやるなら、フォントが重要になってくる。パソコンに当初から入っているフォントでは、特にポップな物を作りたいと思った時、イメージに合わないチープな物が出来がちだからだ。なので、筆者はフォントをなるべく多くインストールして、アプリのフォントリストの中に沢山並ぶフォントの中からイメージに合う物を選んでいる。
 ただ、そんな感じでフォントを片っ端から突っ込んでたら、ある日デザインに使っているソフトのPhotoshopの動作が重くなった。具体的には、ソフト起動後しばらくは、クリックとか全動作に対する反応が1秒遅れぐらいになるのだ。で、初めは壊れたかと思ったけど、あれこれ改善策を試した結果、問題はフォントの数だった。多分600個辺りを超えると、PCのスペックとかお構いなしに反応が遅れる・・・そんな感じだった。で、もう使わないだろうフォント、使用頻度が極めて低いフォントとかを削除したて500個ぐらいに減らした結果、反応速度は元に戻った。
 そんなエピソードを語りつつ、今回提案したいのはAdobeさんに『Adobe製品のフォントマネージャー』ないし『Photoshopにフォントマネージャー機能』を作ってほしいという事だ。普通は、PCにインストールされている全てのフォントがアプリのフォントリストに表示される。でも、上記のようにフォントが多すぎるとアプリの挙動に不具合が出るし、フォントリストから目当てのフォントを探すのも苦労する。そこで登場するフォントマネージャーは、PCにインストールされているフォントから使用する/しないを選択できるので、PCにインストールされているフォントでも、インストールされていないかのようにアプリのフォントリスト表示される事になるのだ。機能として、「セット」が作れて、普段デザイン用とか特殊ケース1用とか用意する事で、色々な状況にクリック2つで対応できる。セットを変更したら、フォントマネージャーの再読み込みボタンでフォントリストは更新される。
 この機能のメリットは、フォントをPCから削除しないでも良い点にある。PCにはデフォルトインストールされていて、自分は絶対に使用しないのに、絶対に削除できないフォントが沢山ある。英語以外の外国語フォントとか飾り具的なフォントとか。それが実際削除できたら、PCの動作に影響が出るのだろうか?ま、ネット検索とかで、英語以外の外国語フォントが使われている場合は、文字化けしちゃうかな。そういう事も考えられるので、PCから削除しなくてもアプリのフォントリストから削れるのはメリットだと思う。
 そして、フォントリストはPhotoshopでもIllustratorとかとかでも同じであった方が好ましいし、個々のアプリ毎で設定するのはめんどいので、できればAdobe製品全てを一括管理できる独立アプリであって欲しいけど、とりあえずお試しでPhotoshopにだけでもあって欲しい。Adobe製品には「Adobe Fonts」というのがあるけど、この機能はないので、そこに追加でも良いかも。
 ・・・と色々書いてきたけど、分からないのは、この機能があったとして、インストールされたフォントが500個以上だとアプリの動作に異常が出ちゃうんじゃないか?・・・と。現時点では不明・・・なんだけど、そこはAdobeさんに頑張って動作が重くならないよう作っていただきたい。ってか、めんどい、作りたくないというなら、そもそもフォント数が10000くらいまでインストールしてても、挙動がおかしくならない仕様にしてほしい。この不具合(?)は20年前ぐらいから変わらず内包され続けている。
 というわけで、これらを提案書にまとめて早いとこAdobeさんにお送りしたいと思うので、今日は寝てなんかいられないのだ。
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それにしても「自分に合う上の立場の人と出会いたい」なのだ。

2025-01-04 15:46:24 | Weblog
 人を叱りつけるマジックワードがある。主なのは「お前は、頑張り(努力)が足りない」「言い訳するな」「すぐ人に答えを聞いていては成長できない」「ふてくされていたら成長できない」といったものだ。これらは、失敗の内容にかかわらず、あらゆる場合の失敗者の心を締め付ける事が可能な言葉だ。
 でも、これらを使うと、被叱責者は心を閉ざしがちだ。というのも、この不快で非生産的な時間がどんなに長く続こうとも、自分の成長には1mm程度しか繋がらないからという事に気付いているからだ。ちなみに、成長の1mmとは、失敗したら不快で非生産的な時間を過ごす事になるので失敗しないように気を付けよう・・・という程度の思いだ。
 で、なぜ不快に思うのかについては、人間の特性なのでしょうがないとして、なぜ非生産的と思うかは、結局正解を教えてくれないためだ。失敗したのは、運もあるだろうけど、失敗をしないための知識・経験が足りなかったためでもあろう。で、ただただ失敗した事を叱責されても、別にその出来事に対する対策は一向に身につかないのだ。その後で、失敗しないための反省を自分のみでしたとて、失敗した人が考えた対抗策が正解である確率は低い。・・・というか、勘違いの結論にたどり着く確率の方が高い。なら、二度と同じ事を繰り返さないよう、経験や知識豊富であろう叱責者が、正解の一例や二例をアドバイスすべきでしょう。で、それすら「全部自分で考えろ!」ってなったら、もうあなたは完全にジャマですよ。先達者なのに、一つも教授、指導しない。いてもいなくても変わらないのに、失敗した時だけ大きな顔して出てくる。というか、成功しても、その成功を横取りする。もう、そんな人に敬意なんて払えませんっての。
 で、そんな思いがはらわたを煮えくりかえらせたとしても、なかなか上の立場の人にそんな事を言えないし、どんなに論理的に説明しても気持ちは伝わらないだろうし、ちょっとでも口答えしようものならむかつくヤツ認定されるだけだけだろう。ま、下の立場の人の思いなんて関係なく、上の立場の人はのさばり続ける。なので、近年はさらに上の人に苦情を申し立てる事が手段の一つとして認められがちなので、会社の規模が大きければ、とっとと上~の方の人に上申しちゃった方が良いでしょう。中小の会社の場合は、社内に頼れないので、社外の発言力のある団体に相談するか、もうその人との関係を諦めて、結局は失敗しない事が一番なので、自分が何とか頑張って、自分で成長を感じたら、とっとと転職した方が良いだろう。退社理由が「人間関係のせい」と考える人は、口にはしないだろうけど、相当多いと思う。
 とまあ、そんな事を考えてしまう今日この頃で、この事の考えを深めていたらイライラムカムカがたかまって、今日は寝る事なんてできないだろう。
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それにしても「サッカーがより魅力的な競技になるためのアイデアの提案」なのだ。

2024-12-28 16:47:48 | Weblog
 サッカーの試合を開始1分過ぎ頃から観たら、まだ0-0だった。なので「えー、バスケだったらもう普通に2点、4点、お互いに入ってるぐらいだってのに、何チンタラしてんの?」って、思ったよ。で、このスローペースを改善するには・・・コートを小さくすれば良いでしょ!・・・って、それどこのフットサル?
 あー、でもフットサルもそんな点が入らないスポーツなイメージだなぁ。じゃあ、そこを改善するためには・・・みんな手を使って良い事にしよう!・・・って、それどこのハンドボール?
 まあでも、ハンドボールは結構点が入るぞ。じゃあ、この方向でもうちょっとブラッシュアップしてみよう。
 もっと点が入るためには・・・キーパー無くせば良いんだ!でも、ゴールがそのままじゃガバガバすぎるから、ゴールを小さくしてテクニカル要素を加えて・・・って、それどこのバスケットボール?
 結論としては・・・、バスケットボールに倣って、サッカーもチームファールが合計10ポイント(10の倍数)毎で相手にPK献上にすりゃ良いのだ!ポイントはファール時に発生し、ファールでノーカードなら+1ポイント、イエローカードなら+4ポイント、レッドカードなら+7ポイントで計算。もしペナルティエリアでファールしたら、二連続PKって事もあるぞ。あと試合後、抗議したりとかでレッドカードとかが出たら累計ポイント次第で追加PK発生って事もありえます。あ、いや、何かしらのリーグ戦とか大会中なら、勝ち点からその分を引くってのも一興だ。これでもっと点は入ってエキサイトするだろうし、そうじゃなきゃ最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして相当クリーンなスポーツになるって。
 色んな競技で、スピーディでエキサイティングで観客を退屈させない試合が行われるようルール改正が行われているようなので、今回のアイデアがサッカーの基本を変更せずにより良い物にする物だと思えるので、FIFAに提案してみようと思い、早いとこ提案するために、今日は寝ないで提案書をまとめる所存なのだ。
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それにしても「M-1グランプリのナイツ塙審査員の審査に思った事」なのだ。

2024-12-25 19:40:31 | Weblog
 ナイツ塙が、自分のYouTubeチャンネルで、毎年恒例のM-1グランプリの審査員目線での振り返り解説を今年もしていた。で、それを観ていて、幾つかの点が非常に気になったのだ。
 一つは、決勝の三つ巴戦の審査の決め手に関して。決勝では、ネタをやった三組で、審査員それぞれが一番だと思う組に票を入れて、その票数で優勝を競う形なんだけど、ナイツ塙は、令和ロマンと真空ジェシカの二組の面白さは同点で、でもどっちかを選ばないといけないと考えた時、令和ロマンの連覇より真空ジェシカを初優勝させたいと思って、真空ジェシカに票を入れたそうな。何か、引くね。この考え方。個々のネタを審査する時、「普段の方がもっと上手にやっていたけど・・・」とか「もっと面白いネタを持っているのに・・・」とか「会場の盛り上がりが・・・」とか「順番が・・・」とかって、散々ネタを演じたこの場での結果で点を付けていると言っているのに、急に情で点を付ける行為。何年か前にあった「ラストイヤー」が決め手になって優勝が決まった時の、かなりモヤッとしたのに続く感覚だ。
 高校生の主人公達がお笑い芸人を目指す事を描いたマンガの「ショーハショウテン」で、ある大会の審査で、ある審査員が「ラストイヤーの3年生を応援してあげたい」「笑いをとるより大事にすべき理念がある」と言う視点でネタを審査した時、別の審査員がその人を睨み付けながら「そんな尺度で評価されて「芸人」が喜ぶわけねえだろ」と描いていた。これが、原作者の意見なのか、取材をした現場で複数人から聞かれた意見なのか分からないけど、強い意志のもとにこの場面を描いたんだろうと、筆者は感じた。・・・って事を、この件で思い出した。
 ネットでも、「令和ロマンの二連覇はさせたくなかった」という意見が散見されたけど、そういうアンチ達も「あのネタの面白さは勝つに相応しい」と認める声も同時に見られた。ま、大きなくくりで考えると、好き嫌いが評価に影響するするのは避けられない事なんだけど、審査員は極力情を排除し、お笑いの要素の中で審査をして欲しい限りだ。
 一つは、ネタ中の“動き”に関するコメント。真空ジェシカ川北の挙動を「あんなの学校で教えられない」「センスなんだ」と、ベタ褒めしていた。これは、別にM-1関係ないんだけど、実に衝撃を受けた。お笑い芸人を目指す人の多くは、お笑いの養成学校へお金を出して教えを請うために行っているのに、面白さを作り出す重要な要素である“動き方”を教えてもらえないとは!養成学校って、ネタ見せ授業で、まだまだ笑いやお金を取れないレベルのネタを、どこがどうダメだからどうすれば良いっていうのを教えてくれる場所じゃないの?「センスだ!」で終わられたら、学校行く意味全く無いでしょ。
 主人公達がお笑い芸人になる事を描いたマンガの「べしゃり暮らし」では、お笑い芸人養成学校のネタ見せ授業で、大抵の生徒は講師のアドバイスが全く心に響かず、なんなら反感を抱いていた。しょせんまだまだ素人の考えと、その道に何年も従事してきた人の考え、どちらが正しい可能性があるかって言ったら、当然後者だろう。経験が浅すぎるが故に、深いアドバイスの有用性に気付けないって事もあるだろう。
 女芸人No.1決定戦の“THE W”の審査員は、コメントで当たり障りのない事を並べとけば、ギャラに見合った仕事をしたと言えよう。でも、養成学校の講師(先生)は、全体的につまらない、程度が低いと言われがちなTHE Wにすら届かないレベルのどんなスタイルのネタであっても、何が足りていないかちゃんと指摘し、更正アドバイスを的確に出さなければならないはずだ。正直、THE Wの審査員より遥かに難しい仕事だろう。でも「センスを磨け!」なんて突き放す事は言っちゃあいけない。「こうこうこういう風にやったらセンスが磨ける」と教えないと。
 仕事の現場でも、成果物に対してダメ出しだけして終わってしまう上の立場の人が大勢いて、じゃあどうすれば良いのかと聞くと「それを考えるのがお前の仕事だ!」と更に怒る。いや、こっちが聞きたいのは、答えその物じゃなくて、ダメ出し個々はそれぞれどういう理由でダメで、あなたが何を求めているのか方向性を示してほしい・・・という事なのだ。ま、こういうダメ出しだけする人は、ほぼ確実に現場から嫌われるね。・・・なんて感じで、仕事の愚痴も浮かび上がりつつ、全然知らないお笑い養成学校の事が気になってしまった。
 あー、まだ二つしか気になった事をあげてないし、他の審査員達の考え方も並べてみたい所だけど、長くなっちゃったんでもう止めよう。これ以上調べて書いていたら、今日は寝られない事になってしまいそうだからだ。
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