父
2009-08-18 | 日記
8月2日 妻の父が他界しました。
ブログに載せるのはどうかと思っていましたが、なんだかずっと引っかかっていて、無かったことなんてできなくて、書いておくことにしました。
妻の父は8年も前から大腸癌でした
8年前に発見された時には 「あと3ヶ月から半年」と医者から告げられて、家族一同ショックを受けたのを今でも覚えています。その時の最初の入院時に「酒を飲みながら、窯を焚くのが夢だった」と父から言われ 一人鳴きそうになっていました。
その後 手術・抗がん剤・民間療法 どれが良かったのか分からないのですが、日常生活ができるまでに回復してきたので、窯を一緒に焚けるまでになりました。
父は朝が早くて、私が夜 窯を焚く当番をしていたので、早朝に起きて交代してくれる父に 助けられていたのを改めて実感します。
父は結構 おっちょこちょいで、よく我が家の周りの草を刈払い機で刈ってくれていましたが、植えていた花やリンゴの木やブルーベリーの木まで刈られてしまった時に、ニコニコしながら「これ刈っても良かったんだよなあ?」と・・・笑ってしまったことを思い出します。
いろんな思い出を ありがとう
ブログに載せるのはどうかと思っていましたが、なんだかずっと引っかかっていて、無かったことなんてできなくて、書いておくことにしました。
妻の父は8年も前から大腸癌でした
8年前に発見された時には 「あと3ヶ月から半年」と医者から告げられて、家族一同ショックを受けたのを今でも覚えています。その時の最初の入院時に「酒を飲みながら、窯を焚くのが夢だった」と父から言われ 一人鳴きそうになっていました。
その後 手術・抗がん剤・民間療法 どれが良かったのか分からないのですが、日常生活ができるまでに回復してきたので、窯を一緒に焚けるまでになりました。
父は朝が早くて、私が夜 窯を焚く当番をしていたので、早朝に起きて交代してくれる父に 助けられていたのを改めて実感します。
父は結構 おっちょこちょいで、よく我が家の周りの草を刈払い機で刈ってくれていましたが、植えていた花やリンゴの木やブルーベリーの木まで刈られてしまった時に、ニコニコしながら「これ刈っても良かったんだよなあ?」と・・・笑ってしまったことを思い出します。
いろんな思い出を ありがとう