先週,小学校4年の長女が,首をかしげて困った表情していました.
どうしたの?と聞くと,「宿題ができない」とのこと.
で,その宿題とは?
「宝物」という題の作文だそうです.
「私の宝物って何?」と親に聞くしまつです.
「たまごっちも飽きてきたし,テレビゲームはやらせてもらえないし,宝物なんてないよ!」
とのこと.
この飽食の時代,ほしい物はたいてい何でも手に入る時代だからこその悩みですね.
何でも手に入るということは,誰でも手に入るということですね.つまり,自分だけの,とか二人だけの思いがこもったものとかが手に入れ難いということなのでしょう.
思い出の写真といっても,今はjpegのデジタルデータになっていて,いつでも複製が作れますし.
「かけがえのない」という表現が死語になりそうです.
でも,そんな時代だからこそ思い出になるものを日々の生活の中で少しずつでいいから,残して行けないものかなあと思う今日この頃です.
どうしたの?と聞くと,「宿題ができない」とのこと.
で,その宿題とは?
「宝物」という題の作文だそうです.
「私の宝物って何?」と親に聞くしまつです.
「たまごっちも飽きてきたし,テレビゲームはやらせてもらえないし,宝物なんてないよ!」
とのこと.
この飽食の時代,ほしい物はたいてい何でも手に入る時代だからこその悩みですね.
何でも手に入るということは,誰でも手に入るということですね.つまり,自分だけの,とか二人だけの思いがこもったものとかが手に入れ難いということなのでしょう.
思い出の写真といっても,今はjpegのデジタルデータになっていて,いつでも複製が作れますし.
「かけがえのない」という表現が死語になりそうです.
でも,そんな時代だからこそ思い出になるものを日々の生活の中で少しずつでいいから,残して行けないものかなあと思う今日この頃です.