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熊本市で活動する女性コーラスグループ。お母さんコーラス全国大会出場を目標にレッスンしています。(これまでに4回出場)

映画 八犬伝

2024-10-27 09:48:34 | 映画

映画「八犬伝」を観ました。まず、八犬伝の概略について(カンリニン)

 「南総里見八犬伝」というのが正式のタイトル。江戸時代後期の戯作者(小説家)滝沢馬琴(曲亭馬琴)が書いた長編小説。文化11年(1814)~天保13年(1842)の28年をかけて、全98巻、106冊が版行された。

あらすじ
 室町時代後期を舞台に安房里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説。八
犬士は身体のどこかに牡丹の痣があり、水晶の玉を所持している。この玉には、それぞれ仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の8文字が刻まれていた。世は戦国時代であり、里見家は由緒ある源氏の家柄であったが、近隣の大名安西景連(かげつら)に攻められ落城寸前になった時、当主里見義実は傍にいた神犬八房に愚痴をこぼす。「八房よ景連の首を取ってきたら伏姫を遣わすぞ」と戯れを言った。八房は包囲している景連陣へ突入して景連の首を咥えて戻ってくる。これを機に里見軍は城外へ打って出て安西軍をさんざんに打ち負かした末に景連の妾、玉梓(たまずさ)を捕らえる。義実はいったんは許すが、家臣の反対に遭って前言をひるがえして処刑する。その玉梓はわれは怨霊となって里見家に末代まで祟ってやると、怨みを言って死んだ。伏姫は八房とともに富山(とみさん)の洞窟で暮らすようになる。これが物語の発端。

 映画はここから一転して、作者馬琴の文学上及び生活上の苦悩や友人葛飾北斎との懸け合いに転じる。里見家の物語は虚の世界であり、作者馬琴の苦悩は実の世界であるとして、その虚実を交互に描いていく。こういう映画の構成がなかなか面白かったです。わたしは実の世界則ち馬琴の日常生活の中に現れる苦悩などに感銘を受けました。馬琴は晩年失明し、八犬伝は未完の大作に終わるかと危ぶまれたとき、仮名しか書けなかった嫁の路(みち)が、口述筆記を申し出ます。八犬伝には難しい漢字がいっぱい出てきます。その漢字の偏や旁を馬琴の指先で手のひらに書いてもらいながら路(みち)は一文字一文字を憶えていったのです。この苦労は大変なものでした。こうやって最後の2年間を書き続けて八犬伝は完結したのです。

 私は50代のころにこの大作を読破しました。それも現代語訳でなく版本に挑戦したので、始めのうちはさっぱり読めませんでした。カナといっても変体カナなのです。漢字にはルビをふってありますが、それも変体カナなのです。ですから1ページを読むのに時間がかかります。でも、読めないところは飛ばして読んでいくうちに、だんだん読めるようになり、3巻ばかり読み終えたときには変体カナは、ほぼ読めるようになっていました。版本というのは板木に文字を彫りつけて印刷したもの。江戸時代の出版物は皆それでした。その時代の冊子が残っていてコピーもできるのです。ですから「八犬伝」には特別の思い入れがあるのです。

  上映館 TOHOシネマズ熊本さくらまち (ほかでも)

   

馬琴の妻役寺島しのぶ

嫁(黒木華)
路(みち)が口述筆記を申し出ているシーン

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映画「東京物語」の上映会

2024-04-09 11:18:58 | 映画

昔観た懐かしい映画、小津安二郎の「東京物語」の上映会があります。入場無料ですから、興味のある方はどうぞお出かけください。(カンリニン)

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映画 ラーゲリより愛をこめて

2023-01-03 20:47:51 | 映画

 交通センタービル4階にある「東宝シネマ」で標題の映画を上映しています。コロナ禍の不安はありましたが、思い切って出かけました。座席は2/3くらいがうまり、観客は若い女性が目立ちました。(カンリニン)

  映画は、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)での過酷な強制労働を描くものですが、その描き方が中立的で偏りがなく、そこが良かったです。と言っても氷点下40度を下回るような酷寒の地で、乏しい食料(黒パン)と劣悪な環境での強制労働は、やはり厳しい状況を生み出します。寒さと栄養失調のために餓死する者、絶望による自死者が後を絶ちません。それらの死者を降りしきる雪の中、ふんどし一枚の裸にして埋葬するシーンはこちらの心も凍り付くようでした。 

 シベリアと言えば上記のような極寒の大地ばかりを想像しがちですが、ここには冷涼にして快適な夏が存在します。いくら強制労働といってもたまには休日もあるわけで、そんな日にはみんなで川へ出て、魚を手づかみにしたり、子供時代に返って水遊びに興じます。また手造りのボールで野球に興じたりもします。微笑を浮かべながら鑑賞できるシーンもあるわけです。
 また、収容所のあちこちにやたらとスターリンの肖像ポスターが張られ、社会主義思想の宣伝もされるわけですが、強制労働そのものが「不正義」であることを、映画はそれとなく批判しているようです。

 そんな中にあって、襟章二つ星の上等兵に過ぎない山本幡男(二宮和也)は「必ず帰国の日が来る。このような強制労働は捕虜虐待の国際法違反だから・・」をかたく信じて、皆にそのことを言い、励まします。彼はロシア文学に憧れをもっており、露語の読み書き、会話ができるのでした。

 事の始まりは1945年8月9日、ソ連の一方的な参戦によって引き起こされます。山本幡男は妻モジミ(北川景子)との間に3男1女を設けて満州国ハルピンで暮らしていましたが、その平穏な生活がソ連軍の侵攻によって崩壊します。つまり、幡男は捕虜としてシベリアへ、子連れの妻モジミはハルピンを脱出し辛うじて日本へ帰国します。この脱出行は、それだけで一本の映画が撮れそうな苦難に満ちたものだったでしょうが、この映画では一切省略されています。

 さて、これからが、この映画の「キモ」にあたるクライマックスシーンが展開するのですが、幡男はハルピンで妻と別れるとき「オレは必ず日本へ帰って来るから、それを信じて、子たちを育てながら待っていて欲しい」と言います。モジミはその言葉を信じて生活の困窮に耐えながら戦後を生き抜きます。
   さて、
幡男(はたお)は無事に日本に帰国できたのか、、?。ここがこの「愛情物語」のテーマなのですが、そこを話すことは「ネタバレ」になります。上映中のことでもあるので、それは省略します。落涙率98%といわれるこの映画のテーマはこの後半部にあるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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映画「われ弱ければ」・・・矢嶋楫子伝

2022-02-24 20:30:38 | 映画

映画「われ弱ければ(矢嶋楫子伝)」が電気館で上映されました。2月11日~2月17日でした。(カンリニン)

     

 矢嶋楫子は病気に倒れた兄・直方の看病のために長崎港から蒸気船で東京へ向かう。兄は治水土木の専門家として明治政府に招聘され、大丞職(現在の次官クラス)という地位にあり、渋谷・猿楽町に能舞台のある大きな屋敷に住んでいた。多勢の書生が仕えており、その中に後に恋仲になる鈴木要介がいた。
 長崎港には大小様々の船が停泊していたが、その船にはみな楫がついている。その楫によって船の進行方向が定まるという当たり前のことが、この時、楫子の心に神の啓示のように「ある事」が閃く。「そうだ、この楫のように私も自分の進む道は自分で決めよう」。名を「かつ」から「楫子」に改め、その決意を固めた。林との結婚が失敗したのも、自らの意思でなく周囲から言われるままだったことへの痛烈な反省が込められていた。(明治5年39才の時)

 楫子は25才の時、兄の勧めで300石取りの熊本藩士・林七郎の後妻になる。当時25歳といえば婚期を逸しており、初婚など望むべくもないこと。
 林は兄・直方と同じく横井小楠の門弟で、小楠の勧めもあって、この縁談には兄・直方が乗り気になった。林は竹を割ったようなサッパリした気性で、そこはよいのだが、酒を飲むと人格が変わってしまう酒乱であった。夜刀を振り回して暴れるのだから楫子はその応接で辛労が重なり甚だしい衰弱に陥ってしまう。また、疲労は眼に来て半盲の状態になってしまった。 
 ある夜投げつけられた小刀が楫子の左腕に刺さり、抱いている赤児の命も危うかった。10年間辛抱し三児(治定・なも子・達子)を設けたが我慢もこれまで、乳飲み児の達子を抱いて実家へ帰り、再び婚家に戻ることはなかった。
 これまでも夫の酒乱に絶えかねて実家へ逃げ帰ったことは何度もあったが、その都度迎えが来て連れ戻されていた。

     楫子を迎えに矢嶋家を訪れた林七郎へ、兄・直方は楫子の意志の堅いことを告げ、楫子が認めた離縁状に切り取ったばかりの黒髪を挟んで渡した。これが妻から夫へ出した日本で初めての離縁状である。どのような文面なのか映画の画面から読みとることは出来なかった。  

     
  上京した楫子は兄
・直方の勧めで小学校教員伝習所へかよい教員になる。(41才)
 市立桜川小学校教員となって1年あまり経ったころ、楫子は書生のひとりで妻子のある鈴木要介と恋仲になる。鈴木は心から楫子を尊敬しており、兄・直方の家政の切り盛りなど諸事相談にのってくれて親切だった。妻子のある男と知りつつも、鈴木に惹かれていく楫子の心を責めることはできまい。
 だが、この恋にもやがて破局が訪れる。楫子が妊った事を告げたとき鈴木は喜んでくれたが、その時の鈴木の言葉に楫子は深く傷ついた。「妾の子として入籍しよう」というのである。これは当時の社会ではごく普通のことで、そのような形で妾を囲っている男はいっぱいいたし、鈴木も当然の愛のある処置と考えていた。楫子はこのことに我慢がならなかった。「あなたにはもう2度とお逢いいたしませぬ。子供は私が育てます」。
 その後、楫子は教員を続けながら練馬村の農家に下宿して「妙子」を産む。そして相当の金を出して将来引き取ることを条件にその家に里子に出す。

   

 そういう経緯で誕生した「妙子」であったが、今は写真のように美しい娘に成長した。
 「お母様、あのお方、先ほどからずっと私たちを見ていらっしゃるの。ご存知の方・・?」「いいえ、ずっと以前に知っていた人に似ていらっしゃると思ったけど、別人でした」。
 男は鈴木要介であった。この時楫子は64才になっていて「日本キリスト教婦人矯風会初代会頭」の肩書きを持つ有名人になっていた。

    
   運命とは、命を運にあずけることです。
   大切な命を運に任すのでなく、
   これからの女性は、使命を持って生きてください。

   使命とは、命を使うことです。
   自分の命は、自分で使うのです。矢嶋楫子

 

 

 

 

   

 

 

 

 

     

 

 

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