ずいぶん降りましたねえ・・。木山川が最も出ているようで、夥しいゴミ芥。今夜から明日にかけて、まだまだ降ると言ってるのでちょっと心配。
写真は西無田橋から撮ったもの。上流側の三本は益城三川といわれ、ここで合流して加勢川となり、川尻緑川河口へそそぎ有明海へ。(カンリニン)
ずいぶん降りましたねえ・・。木山川が最も出ているようで、夥しいゴミ芥。今夜から明日にかけて、まだまだ降ると言ってるのでちょっと心配。
写真は西無田橋から撮ったもの。上流側の三本は益城三川といわれ、ここで合流して加勢川となり、川尻緑川河口へそそぎ有明海へ。(カンリニン)
なかなか大きくならないマメツゲの実の写真を撮ろうと待っていたら
少しづつ葉が 枯れ始めてしまったので あまりパッとしませんが・・・
花と同じ位(5mm)の大きさです。(ソプラノyo)
今日で3日、ここに放置されてる自転車。たぶん、盗難車で乗り捨てられたものだろう。
そのうちに公園管理者へ連絡が行き、所定の手続きを経て自転車は処分される。持ち主の所へ戻ることは、まず、ないだろう。
人はだれも、この自転車のように、やがて、この世から消えていく。(カンリニン)
今年も散歩コースの合歓の花が咲きました。下江津公園の合歓の木は相当な大木なので、歩道いっぱいに蔭を落とします。日差しの強い日などは、この木の下に日差しを避けて、しばらく休みます。
この花が終わる頃には梅雨が明けて、強烈な日差しの真夏となるので、この道を歩くことも少なくなります。(mezzo kyoko)
前の記事で平安時代の女流歌人「檜垣」のことに触れましたが、その檜垣の面白いエピソードがあるので、それを紹介します。松尾権現山の山中に説明板がありますが、文字が消えかかっていてとても読み辛いので、写真に撮って、拡大して書き写しました。(カンリニン)
檜垣の「こぼし坂」
平安時代の美しい女性歌人としてしられ
ている桧垣は、岩戸観音を深く信仰して
白川のほとりの蓮台寺から松尾を経て
この旧道をとおり岩戸観音へ水を供えた
といわれています。
「こぼし坂」という名は桧垣が水をこぼし
こぼし、この坂を登ったという言い伝えに
よって名付けられたという。
なお、桧垣が白川を詠みこんだ次のような
和歌が残されています。
年ふればわが黒かみも白川の
水はくむまで老いにけるかな
桧垣はのちに岩戸観音の近くの山下庵に
移り住み、その和歌集は
「桧垣媼集」とよばれています。 熊本市
道はここから新道が右側を登っており普通車も通ります。旧道はこの先で崩れていて通行不能。だから「こぼし坂」を通ることはできない。(残念)
前写真の旧道はここへ登ってきます。ここまで200mくらいはありそう。その途中に急坂の「こぼし坂」があったのです。
前写真の新道の延長がこの道。このあたりが峠で道は平坦、景色のよいところです。二ノ岳、三ノ岳が正面に見えます。このあたり蜜柑山ばかり、岩戸観音は前方左下、松尾北小学校が左下にあり蜜柑山に囲まれて校舎が建っています。同小学校は2017年度に閉校になっています。