21日、22日と2日つづけて夕立がありました。2日とも午前中から35℃を超す猛烈な暑さでしたが、午後1時頃になると「一天俄にかきくもり」という形容がぴったりの雲行きとなって「ピカピカ、ゴロゴロ」とやりだし,遂に車軸を揺るがすような夕立となりました。梅雨明けから猛暑つづきで、うんざり・げんなりのところだったので、まさに喜雨至るでした。猛暑もようやく峠を越した感がありますね。
イラストは子供の雷さまです。
坪井3丁目にある曹洞宗の古刹、「報恩寺」をご存知でしょうか。大正14年に自殺未遂の「山頭火」が保護され、後に得度したことで知られる寺院ですが、創建は古く永承年間といわれますから戦国時代初期の頃です。この寺に面白い伝承があるので紹介します。
ある年の夏のこと、本堂の屋根に落雷がありました。屋根瓦が何枚か落ちた程度で、音響の割に被害は軽微でしたが、不思議なのはゴロゴロという雷鳴が次第に弱まりながらも本堂の天井で、鳴りつづけていることです。住持は法力のある人で、「ヤァツ・・!」と鋭い気合いを懸けます。すると、どさりと落ちてきたのは気絶している子供の雷でした。 その子雷は,落雷に慣れてなくて、落ちてはみたものの、天に帰ることができずに、もたもたしているところを住持の法力に絡め取られてしまったのでした。
それから3年の間、子雷はこの寺で修行させられます。修行といっても経典の学習などはあまりなくて、境内や本堂の掃除、墓所の草取り等雑用をさせられました。また住持の肩もみ、晩酌の酒買いなども、子雷の担当でした。
三年経って、いよいよ天に帰る日がきます。子雷は立派な青年雷に成長して、今ではお経を読むこともできて、檀家の人たちからは「カミナリさん」と呼ばれて慕われています。名残りつきないお別れでしたが、お世話になったお礼にと、境内の隅にある古井戸に淸水を湧かせます。この井戸は中間部が膨らんでいる壺の形をしているので「壺井」と云われ、それがいつしか「坪井」になり地名となります。また、この井戸に湧く淸水は病気を治す薬効があって重病の人々を救ったといわれています。
壺井の淸水は涸れてしまいましたが井戸は今もあり、傍に説明板が建っています。報恩は子雷の恩返しの謂です。 (カンリニン)