縦横に水の流れや芭蕉林 高濱虛子
県立図書館の裏手に広大な芭蕉林があり、その一角に虛子句碑が建っています。この句はここが高級料亭の庭園(江津花壇)であった頃虛子を囲んで句会が催され、虛子がその席で詠んだ句です。それは昭和3年のことでしたが、戦時中この料亭は三菱の所有となり社員クラブとなります。戦後は井関農機の所有となりました。
昭和27年虛子は娘の立子を引き連れて再来熊しここに句会を催します。それを記念して昭和30年に句碑が建てられました。費用は井関農機が出し、揮毫は当時熊本1区選出の代議士大久保武雄の手になるものです。大久保は号を橙青と称し虛子の弟子でした。
昭和27年に詠んだ虛子の句はこの句に及ばなかったのですね。虛子自ら「この句にしてくれ」と指定したと推定できます。
因みにこの庭園は明治以前は細川内膳家の屋敷で「砂取邸」と呼ばれていました。(mezzo kyoko)